♪  半導体技術者の視点で、社会科学の研究を推進中。  ♪  社会科学者の視点で、半導体の技術開発を推進中。  ⇒ 最新記事と講演については、facebookでもお知らせしています。

なぜ「技術で勝ってコストで負ける」のか?

朝日新聞WEBRONZA 2010年12月3日
 「技術では負けていない」、「コストで負けた」。これが、日本半導体業界の定説となっている。

 半導体だけではない。液晶パネル、太陽光発電、有機EL、LEDなどでも、全く同様な話が聞こえてくる。高性能ゆえに世界ではまったく売れず、ガラパゴス化してしまった携帯電話も、現象としては同じであろう。

 「技術で勝って、コストで負ける」。(この定説が正しいかどうかは別として)なぜ、このようなことが頻発するのだろうか?

 筆者は、日立やエルピーダなどで、16年半に渡って、半導体の微細加工技術に取り組んだのち、同志社大学に転身したことを契機として、社会科学の枠組みで、このような問題について考え続けてきた。その結果、得られた結論は、以下の通りである(詳細は、『日本「半導体」敗戦』光文社に記載した)。

 日本人は、技術の極限、性能の極限、品質の極限を、病的なまでに追求する。コスト意識は全くない(何を隠そう、技術者時代の筆者も、そうであった)。その結果、過剰技術で過剰性能・過剰品質を作ってしまう。そして、グローバルなビジネスでは、韓国・台湾などのアジア勢に、コスト競争で敗れ去るのである。
 

ルネサス山形セミコンダクタ株式会社の最新鋭の半導体工場=山形県鶴岡市、同社提供

 
 それでは、なぜ、日本人は、過剰技術で過剰性能・過剰品質を作ってしまうのだろうか? この原因を考え続けた結果、筆者は、「技術とTechnologyは、実は違うものではないのだろうか?」と思うに至った。正確にいえば、「日本人が認識している“技術”と、欧米人および韓国や台湾などのアジア人が認識している“Technology”とは、違う概念なのではないか?」と思われるのである。

 『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、日本語の“技術”とは、文脈によって、エンジニアリング(編み出す技術)、テクノロジー(編み出された技術)、スキル(技法と技能)のどれかひとつを指すこともあれば、いずれか2つの意味を持つ場合や、さらには、それらが一体となった意味としても使用されることもある。

 また、サイエンスとは、自然界の現象を探求する公式な方法のことであり、エンジニアリングとは、自然界の現象を現実的な人間の手段として利用するための設計や構築の方法であるとされている。テクノロジーは、このサイエンスおよびエンジニアリングという2つの方法に、社会の要請があって生み出されたものをいうと書かれている。

 さらに、一般的に、“Technology”といえば、(サイエンスの結果はどうあれ)「エンジニアリングによって生み出された(結果の)もの」をさす名称として用いられると記載されている。

 つまり、日本人が認識している“技術”とは、「技(ワザ)」と「術(スベ)」を広く包含し、なかんずく希少価値のある高度な技能なのである。もっといえば、“技術”とは、サイエンス色の強い、最先端テクノロジー(工業製品)のための、とんがった、極度に高度なエンジニアリング能力、なのではないだろうか?

 一方、欧米人やアジア人が認識している“Technology”とは、一言でいえば、「工業製品」であり、「いつでも、どこでも、だれでも、同じことができること」である。

 このような概念の違いが、日本と諸外国との会社の違い、仕事の違い、製品の違い、収益力の違い、などの根本原因になっているのではないだろうか?その結果、日本人は、過剰技術で過剰性能・過剰品質を作ってしまうのではないか?

 日本の産業競争力は、凋落しつつあると言われる。このままいくと、「失われた20年」どころか、「失われた30年」になるという主張も聞こえてくる。

 過剰技術で過剰性能・過剰品質を作ってしまう日本人の性癖を治療する方法はないだろうか?あるいは、この性癖をポジティブに有効活用し、日本の産業競争力向上に役立てる方法はないものだろうか?本コラムでは、このような視点から、論考を行いたいと考える。