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イノベーションを「技術革新」って言うな!

朝日新聞WEBRONZA 2011年2月18日
 昨年から今年にかけて、2回、ソニーおよびその関連会社で講演した。その際、非常に驚いたことがある。ソニーの社員が、プレイステーション3(PS3)は成功したと思っており、PS3に使われているプロセッサCellは「イノベーションを起こした」と信じているからだ。

 Cellは、ソニー、東芝、IBMが、5000億円を投じて、500人の設計者が5年かけて開発したスーパー半導体である。設計だけでなく製造プロセスにも最先端技術をてんこ盛りした革新的なプロセッサと言えるだろう。

 筆者はやったことがないが、人から聞いた話では、鈴鹿サーキットのゲームにおいては、道のわきのペンペン草までリアルに表示される程、高性能かつ高画質な画像でゲームが楽しめるという。

 そのCellは、果たして、イノベーションを起こしたのか?

 2007年4月から2009年3月までの販売台数を見てみると、PS3は競合相手の任天堂WiiおよびマイクロソフトXboxに大きく差をつけられていることが分かる(グラフ)。
 

 それどころか、Cell生産の一翼を担うはずだった東芝は、採算悪化により、システムLSI部門の再編を余儀なくされた(Cellのせいだけではないかも知れないが)。一度はソニーから買い取った長崎工場を再びソニーに売却し、次世代製品はサムスンなどの海外ファンドリーに委託すると発表、大幅に規模を縮小することになってしまった。

 ゲーム業界でイノベーションを起こしたのは、ソニーのPS3ではなく、任天堂のWiiである。

 任天堂は、プロセッサの高性能化路線はやめて、「お母ちゃんも、お爺ちゃんも、みんなで遊ぼう!」というゲームを作り出し、これまでゲームに関わったことがなかったような女性や高齢者層を取り込むことに成功した。また、『Wii Sports』、『Wii Fit』など、これまで存在しなかった類のゲームを広めることにも成功した。

 つまり、Wiiは、ゲーム機における新しい市場を作り出したのである。これこそが本当のイノベーションである。

 筆者が問題視しているのは、このような状況にもかかわらず、ソニーの社員が「Cellはイノベーションを起こした」と思っていることである。ソニーと言えば、トランジスタラジオやウオークマンなど、日本が誇るイノベーションの申し子のような存在であった。そのソニーの社員が、こうなのである。

 なぜ、このようなことが起きるのか? ソニーの社員が「イノベーション=技術革新」と誤認識しているからだと筆者は考えている。

 このような誤認識をしているのは、ソニーの社員だけではない。多くの日本人が「イノベーション=技術革新」または「イノベーション=技術のブレークスルー」と思っている節がある。

 この誤認識を日本人に植え付けている責任の一端は、新聞などのメデイアにある。新聞記事の中にイノベーションが書かれる際、ご丁寧にも「イノベーション(技術革新)」と表記されるからだ。これが、日本人に間違った概念をすり込んでいる。

 イノベーションが流行り言葉になった切っ掛けは、2004年12月15日、米国の次世代戦略として発表されたパルミサーノ・リポートに端を発する。

 米国は、IBMのサミュエル・パルミサーノCEOを議長として産官学のリーダー400人を結集し、“Innovate America”をまとめ発表した。その要点は、「米国が、21世紀も引き続き発展・成長を遂げるためには『イノベーション』こそ、唯一最大の原動力である。米国を丸ごとInnovateすべきである」というものである。

 これを日本がまねた。時の総理大臣である小泉氏が「イノベーション」を取り上げ、バトンを渡された安倍元総理大臣は所信表明演説に「イノベーション」を散りばめた。この模倣は間違っていない。日本が競争力を向上させるためには、やはりイノベーションがキーとなるからだ。

 しかし、残念ながら、言葉はまねても、思想を正しくまねることができなかった。まず、小泉元首相も安倍元首相も、イノベーションを正しく理解していなかった。たまたま、筆者の知人に、総理大臣の番記者をやっていた新聞記者がいたので、イノベーションをどう理解しているかを確認してもらったところ、彼らの認識はやはり、「イノベーション=技術革新」であったという。

 そして、新聞も、イノベーションを技術革新と訳して表記した。というより、イノベーションと技術革新を、ごちゃごちゃに表記した。その結果、日本人の頭には、「イノベーション=技術革新」という誤認識がすり込まれてしまったのだろう。

 パルミサーノ・リポート発表以降、米国は、着実にイノベーションを起こしている。その代表例が、Apple社のiPhoneやiPadであろう。何しろ、これらタブレット端末に関係する電機メーカー、部品メーカー、半導体メーカー、材料メーカー、装置メーカーなどが、その特需に沸いているのだから。

 また、twitterやFacebookなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)もイノベーションを起こしたと言えるだろう。Facebookは、あっという間に5億人以上に普及し、チェニジアやエジプトに革命を起こすほどの威力を発揮した。

 一方、日本に「イノベーション」が流行り始めてから、より一層、日本からイノベーションが起きなくなったように感じる。

 単なる言葉の問題と言うなかれ! 言葉は概念として、頭の中に浸透する。日本人のイノベーションを妨げているのは、皮肉にも「イノベーション」という言葉なのだ。頼むから、イノベーションを技術革新と言わないで欲しい。