避難民の苦しみが分かる人を次期総理大臣に! 佐藤雄平福島県知事はどうだろう
朝日新聞WEBRONZA 2011年6月15日
最近、政治のニュースを見るのは苦痛以外の何物でもない。政治家の所業はあまりにも醜い。これが同じ日本人なのか。鳩山前総理は、菅総理のことを「ペテン師」と呼んだが、本当は管総理も、鳩山前総理も、小沢元代表も、タヌキかキツネの分身なのではないか?
菅総理は、「一定のメド」がついたら身を引くようなことを言った。最初は第2次補正予算の編成が「一定のメド」であるかのような口調だったが、不信任案が否決された途端に、抜け抜けと「原発事故が冷温停止するまで」だといった。東京電力が発表したインチキくさい工程表によれば、6〜9か月後、すなわち、どんなに早くても来年1月だ。
しかし、工程表通り対策が進むなどと信じている人は(御用学者を除けば)誰もいない。先週直接、ご意見を伺った元京大原子炉実験所の先生(熊取6人衆の一人)によれば、「高濃度の汚染水が作業効率を大幅に悪化させている。一度に少しずつしか作業を進められない。冷温停止までは、数年から5年、ひょっとしたら10年かもしれない」とのことである。
10年間、菅内閣が続いたら、この国は亡ぶのではないかと思う。
巷では、次期総理大臣はだれか? 誰にすべきか? ということが話題になっているが、筆者は、タヌキかキツネの分身のごとき現職の国会議員は、もはやだれも信用できない。全員不可! では、誰が適任か?
筆者の体験から、以下に独断的見解を述べる。
3・11、筆者は、東京国立市で被災した。JRなど交通機関はすべて止まった。タクシー乗り場には100mを超える長蛇の列ができた。最後尾で1時間待ったが、タクシーは1台も来なかった。2台持っていた携帯電話は一向に繋がらず、埼玉の自宅にいるはずの家族の安否は確認できなかった。
結局、筆者も、帰宅難民の一人になった。自宅まで25km、歩いて帰る気力は失せ、一晩はホームレスになる覚悟をした。それにしても寒い。確か24時間営業の西友があったはず。西友で布団を買って道端で寝よう、そう思って西友に行くと、無念にもシャッターが下りていた。
絶望したその時、国立市が、国立第八小学校の体育館を避難所として開放していることを、交番の警官から聞いた。「まだ、一人くらいなら入れるかもしれない」と。
20分ほど歩いて件の体育館に行くと、既に200〜300人が避難していた。一人当たり1枚の断熱マットと2枚の毛布が支給された。隅の方に僅かに開いていたスペースに断熱マットを引き、毛布を2枚重ねて被ってくたびれ果てた身体を横たえた。
避難所、断熱マット、毛布2枚。野宿を覚悟した筆者にとっては、非常にありがたいことだった。しかし、余震でガタガタ揺れる頭上のバスケットのゴール、マットを通して床から這いあがってくる強烈な冷気、隣から聞こえてくるゴジラのようなイビキの合唱(失礼!)。身体を横たえることはできても、一睡も眠ることはできなかった。
翌朝もJRは動かず、やっと来たタクシーで自宅に帰り、ヨレヨレになって布団の中に倒れ込んだ。情けないことだが、筆者は、たった一晩の避難所生活で音をあげてしまった。今思い出しても、つらく苦しい一晩だった。
その3・11から約2カ月。信じられないことに、この恐怖の避難所生活を続けている方が、未だに10万人近くいるという。また、避難民全員に仮設住宅が行き渡るのは、お盆休み頃になるとのこと。つまり、現政府は、避難民に、最長で半年間の避難所生活を強いるのである。
もし、筆者がその避難民の立場だったら、発狂するか、自殺するか、暴動を起こすだろう。筆者には、半年もの避難所生活は、とても耐えることができないからだ。
原子力災害対策本部、被災者生活支援特別対策本部、原子力被災者生活支援チーム、震災ボランティア連携室など、20もの政府組織を新設したのに、ボランティア任せの避難民対策。一向に進まぬ瓦礫処理。次々と問題が明るみに出る福島第一原発。後出しジャンケンのようにして出てくる放射線のデータ(例えばSPEEDIの予測)。被災地に届かぬ義援金。
誰が見たって、政府の対応は鈍すぎる。まったく政府組織は機能していない。その挙句、海水注入を止めたとか止めないとか、内閣不信任案をめぐる政治家たちのミットモナイ騙しあい。同じ日本人として、本当に情けない。
今、とにかく、福島、宮城、岩手の避難民を救助し、被災地を復旧するのが第一優先である。そんなことは誰でもわかっている。わかっているはずなのに、現職の政府にそれができないのは、避難民の苦しみ、被災地の惨状が、我がこととして認識できていないからだ。
そこで、避難民の苦しみと被災地の惨状を自分のこととして理解でき、避難民と被災地への対処を可及的速やかに実行する意欲のある方を、次期総理大臣に就任させるべきである。
それは、福島県知事、宮城県知事、岩手県知事の3人しかいない。例えば、総理大臣に福島県知事の佐藤雄平氏、官房長官に村井嘉浩氏、財務大臣に達増拓也氏でどうだろう。
菅総理は、「一定のメド」がついたら身を引くようなことを言った。最初は第2次補正予算の編成が「一定のメド」であるかのような口調だったが、不信任案が否決された途端に、抜け抜けと「原発事故が冷温停止するまで」だといった。東京電力が発表したインチキくさい工程表によれば、6〜9か月後、すなわち、どんなに早くても来年1月だ。
しかし、工程表通り対策が進むなどと信じている人は(御用学者を除けば)誰もいない。先週直接、ご意見を伺った元京大原子炉実験所の先生(熊取6人衆の一人)によれば、「高濃度の汚染水が作業効率を大幅に悪化させている。一度に少しずつしか作業を進められない。冷温停止までは、数年から5年、ひょっとしたら10年かもしれない」とのことである。
10年間、菅内閣が続いたら、この国は亡ぶのではないかと思う。
巷では、次期総理大臣はだれか? 誰にすべきか? ということが話題になっているが、筆者は、タヌキかキツネの分身のごとき現職の国会議員は、もはやだれも信用できない。全員不可! では、誰が適任か?
筆者の体験から、以下に独断的見解を述べる。
3・11、筆者は、東京国立市で被災した。JRなど交通機関はすべて止まった。タクシー乗り場には100mを超える長蛇の列ができた。最後尾で1時間待ったが、タクシーは1台も来なかった。2台持っていた携帯電話は一向に繋がらず、埼玉の自宅にいるはずの家族の安否は確認できなかった。
結局、筆者も、帰宅難民の一人になった。自宅まで25km、歩いて帰る気力は失せ、一晩はホームレスになる覚悟をした。それにしても寒い。確か24時間営業の西友があったはず。西友で布団を買って道端で寝よう、そう思って西友に行くと、無念にもシャッターが下りていた。
絶望したその時、国立市が、国立第八小学校の体育館を避難所として開放していることを、交番の警官から聞いた。「まだ、一人くらいなら入れるかもしれない」と。
20分ほど歩いて件の体育館に行くと、既に200〜300人が避難していた。一人当たり1枚の断熱マットと2枚の毛布が支給された。隅の方に僅かに開いていたスペースに断熱マットを引き、毛布を2枚重ねて被ってくたびれ果てた身体を横たえた。
避難所、断熱マット、毛布2枚。野宿を覚悟した筆者にとっては、非常にありがたいことだった。しかし、余震でガタガタ揺れる頭上のバスケットのゴール、マットを通して床から這いあがってくる強烈な冷気、隣から聞こえてくるゴジラのようなイビキの合唱(失礼!)。身体を横たえることはできても、一睡も眠ることはできなかった。
翌朝もJRは動かず、やっと来たタクシーで自宅に帰り、ヨレヨレになって布団の中に倒れ込んだ。情けないことだが、筆者は、たった一晩の避難所生活で音をあげてしまった。今思い出しても、つらく苦しい一晩だった。
その3・11から約2カ月。信じられないことに、この恐怖の避難所生活を続けている方が、未だに10万人近くいるという。また、避難民全員に仮設住宅が行き渡るのは、お盆休み頃になるとのこと。つまり、現政府は、避難民に、最長で半年間の避難所生活を強いるのである。
もし、筆者がその避難民の立場だったら、発狂するか、自殺するか、暴動を起こすだろう。筆者には、半年もの避難所生活は、とても耐えることができないからだ。
原子力災害対策本部、被災者生活支援特別対策本部、原子力被災者生活支援チーム、震災ボランティア連携室など、20もの政府組織を新設したのに、ボランティア任せの避難民対策。一向に進まぬ瓦礫処理。次々と問題が明るみに出る福島第一原発。後出しジャンケンのようにして出てくる放射線のデータ(例えばSPEEDIの予測)。被災地に届かぬ義援金。
誰が見たって、政府の対応は鈍すぎる。まったく政府組織は機能していない。その挙句、海水注入を止めたとか止めないとか、内閣不信任案をめぐる政治家たちのミットモナイ騙しあい。同じ日本人として、本当に情けない。
今、とにかく、福島、宮城、岩手の避難民を救助し、被災地を復旧するのが第一優先である。そんなことは誰でもわかっている。わかっているはずなのに、現職の政府にそれができないのは、避難民の苦しみ、被災地の惨状が、我がこととして認識できていないからだ。
そこで、避難民の苦しみと被災地の惨状を自分のこととして理解でき、避難民と被災地への対処を可及的速やかに実行する意欲のある方を、次期総理大臣に就任させるべきである。
それは、福島県知事、宮城県知事、岩手県知事の3人しかいない。例えば、総理大臣に福島県知事の佐藤雄平氏、官房長官に村井嘉浩氏、財務大臣に達増拓也氏でどうだろう。
首相候補(?)の佐藤雄平福島県知事=5月31日、全国知事会議で