まだ福島第一原発は危険なのか?
朝日新聞WEBRONZA 2011年6月22日
6月のはじめ、元京都大学原子炉実験所の先生(以下、A先生と記載する)にお会いした。どうしても、聞きたいことが二つあったからだ。
京大原子炉実験所の設備の前に立つ筆者
一つ目は、3・11の直後、福島第一原発は危機一髪だったのか? つまり、まかり間違えば、水蒸気爆発が起きて格納容器が吹っ飛んでいたのではないか?
二つ目は、今もそのような危険性があるのか? ということである。
A先生は、「原子力安全研究グループ」の一員である。「原子力安全研究グループ」というと、班目春樹氏が委員長を務める内閣府の「原子力安全委員会」や、西山英彦氏が記者会見にたびたび登場する経済産業省の「原子力安全・保安院」と似通った名前である。
しかし、この研究グループの活動内容はこれらとは全く異なる。活動の目的は、「原子力災害、放射能汚染など、原子力利用にともなうリスクを明らかにする研究を行い、その成果を広く公表することによって、原子力利用の是非を考えるための材料を社会に提供する」ことにある(ウィキペデアから引用)。簡単に言えば、反原発を標榜する研究グループである。この研究グループの構成員は、週刊誌などでは「熊取6人衆」と呼ばれている(1994年に瀬尾健先生が癌で亡くなられたため、実質的には5人である)。京大原子炉実験所が、大阪の熊取町にあることがその名前の由来となっている。
A先生は、3・11以降、筆者がお会いした人々の中で、もっとも原発の構造や安全性に詳しい先生である。例えばA先生は、伊方原発訴訟の際、原告側に立ち、国が示す伊方原発の安全基準や安全審査を徹底的に検証し、その問題点を追求した実績を持つ。しかし、残念ながら伊方原発訴訟も含め、すべての原発訴訟は原告側が敗訴している(一審で勝っても上告で敗訴している)。
その理由をA先生から聞いて驚いた。裁判は、最初は原告側有利で進んで行く。ところが、そろそろ判決という頃に、突然、裁判長が交代になり、住民の請求が棄却される判決に終わるのだそうである。つまり、日本に54基もの原発が建設されたが、これは明らかに、「日本」という国の強力な意志によって為されたことであると言える。
第一の筆者の疑問は以下の通りである。3・11直後、1〜4号機において水素爆発が起き、原子炉建屋や圧力抑制室が吹き飛んだ。その際、格納容器が吹っ飛ぶ可能性はなかったのか? もし、そのようなことになれば、今は亡き瀬尾氏が著書「原発事故…その時、あなたは」(風媒社)で予測しているように、風向きによっては本州の60%に人が住めなくなっていただろう。つまり、私たちが(放射線に怯えながらも)、今こうして生きていられるのは、単なるラッキーなのか?
これに対するA先生の回答は、「格納容器が吹っ飛ぶ可能性は、小さかったと思う」というものであった。「水位のデータなどからメルトダウンが起きるということはすぐに予測できた」。しかし、一方で、「1号機の非常用復水器、2号機の原子炉隔離次冷却系、3号機の原子炉隔離次冷却系と高圧注水系が作動した」。これらは電力がなくても、炉心の崩壊熱によって発生した蒸気を使ってタービンを回し、ポンプを駆動して炉心に注水することができる(ただし、1号機の非常用復水器は2系統のうち1系統しか動かなかったという話もある)。また、これら非常用の冷却機構が停止した後は、消防ポンプによる注水が行われた。したがって、「格納容器が吹っ飛ぶ可能性は小さいと思った」とのことである。
度重なる水素爆発や格納容器破壊を防止するためのベントなどにより、大量の放射性物質が飛散したが、少なくとも、格納容器の破壊という最悪の事態は何とか避けられたわけだ。我々が生きているのは、偶然の産物ではないようだ。
第二の疑問に移ろう。3月15日までに原発は合計4回、水素爆発した。3月中は、ほぼ毎日余震が起きていた。計画停電が実施され、仕事も生活も混乱していた。ガソリンスタンドは閉鎖され、スーパーに食料も水も無かった。
そこで、筆者は家内と相談して、「次に原発が爆発したら逃げよう」と決めた。1〜4号機はこれまでの水素爆発でズタズタだ。次にどれかが爆発したら、恐らく、格納容器も吹っ飛ぶのではないか。もし、そのようなことが起きれば、首都圏には人が住めなくなるだろう。それで、次に爆発が起きたら、ひたすら西へ逃げようということに決めたのだ。
それから2か月がたった。現在のところ、福島原発は、メルトダウンを起こし、毎日汚染水を500トンも発生させながらも、悪いなりに安定しているようにも見える。我が家の非常事態宣言は解除してもいいのだろうか? 格納容器が吹っ飛ぶという最悪の事態はもう起らないと思っていいのか? というのが筆者の第二の疑問である。
これに対するA先生の回答は、「わからない」というものであった。その理由を以下に示す。まず、原子力安全・保安院が、ほぼ毎日、公開している「プラント関連パラメタ」をみて、1〜3号機、それぞれについて、圧力容器および格納容器の圧力の推移、給水ノズル温度および格納容器下部温度の推移をプロットしてみた(図1〜3)。これに対するA先生の見解は以下の通りである。
A先生は、「原子力安全研究グループ」の一員である。「原子力安全研究グループ」というと、班目春樹氏が委員長を務める内閣府の「原子力安全委員会」や、西山英彦氏が記者会見にたびたび登場する経済産業省の「原子力安全・保安院」と似通った名前である。
しかし、この研究グループの活動内容はこれらとは全く異なる。活動の目的は、「原子力災害、放射能汚染など、原子力利用にともなうリスクを明らかにする研究を行い、その成果を広く公表することによって、原子力利用の是非を考えるための材料を社会に提供する」ことにある(ウィキペデアから引用)。簡単に言えば、反原発を標榜する研究グループである。この研究グループの構成員は、週刊誌などでは「熊取6人衆」と呼ばれている(1994年に瀬尾健先生が癌で亡くなられたため、実質的には5人である)。京大原子炉実験所が、大阪の熊取町にあることがその名前の由来となっている。
A先生は、3・11以降、筆者がお会いした人々の中で、もっとも原発の構造や安全性に詳しい先生である。例えばA先生は、伊方原発訴訟の際、原告側に立ち、国が示す伊方原発の安全基準や安全審査を徹底的に検証し、その問題点を追求した実績を持つ。しかし、残念ながら伊方原発訴訟も含め、すべての原発訴訟は原告側が敗訴している(一審で勝っても上告で敗訴している)。
その理由をA先生から聞いて驚いた。裁判は、最初は原告側有利で進んで行く。ところが、そろそろ判決という頃に、突然、裁判長が交代になり、住民の請求が棄却される判決に終わるのだそうである。つまり、日本に54基もの原発が建設されたが、これは明らかに、「日本」という国の強力な意志によって為されたことであると言える。
第一の筆者の疑問は以下の通りである。3・11直後、1〜4号機において水素爆発が起き、原子炉建屋や圧力抑制室が吹き飛んだ。その際、格納容器が吹っ飛ぶ可能性はなかったのか? もし、そのようなことになれば、今は亡き瀬尾氏が著書「原発事故…その時、あなたは」(風媒社)で予測しているように、風向きによっては本州の60%に人が住めなくなっていただろう。つまり、私たちが(放射線に怯えながらも)、今こうして生きていられるのは、単なるラッキーなのか?
これに対するA先生の回答は、「格納容器が吹っ飛ぶ可能性は、小さかったと思う」というものであった。「水位のデータなどからメルトダウンが起きるということはすぐに予測できた」。しかし、一方で、「1号機の非常用復水器、2号機の原子炉隔離次冷却系、3号機の原子炉隔離次冷却系と高圧注水系が作動した」。これらは電力がなくても、炉心の崩壊熱によって発生した蒸気を使ってタービンを回し、ポンプを駆動して炉心に注水することができる(ただし、1号機の非常用復水器は2系統のうち1系統しか動かなかったという話もある)。また、これら非常用の冷却機構が停止した後は、消防ポンプによる注水が行われた。したがって、「格納容器が吹っ飛ぶ可能性は小さいと思った」とのことである。
度重なる水素爆発や格納容器破壊を防止するためのベントなどにより、大量の放射性物質が飛散したが、少なくとも、格納容器の破壊という最悪の事態は何とか避けられたわけだ。我々が生きているのは、偶然の産物ではないようだ。
第二の疑問に移ろう。3月15日までに原発は合計4回、水素爆発した。3月中は、ほぼ毎日余震が起きていた。計画停電が実施され、仕事も生活も混乱していた。ガソリンスタンドは閉鎖され、スーパーに食料も水も無かった。
そこで、筆者は家内と相談して、「次に原発が爆発したら逃げよう」と決めた。1〜4号機はこれまでの水素爆発でズタズタだ。次にどれかが爆発したら、恐らく、格納容器も吹っ飛ぶのではないか。もし、そのようなことが起きれば、首都圏には人が住めなくなるだろう。それで、次に爆発が起きたら、ひたすら西へ逃げようということに決めたのだ。
それから2か月がたった。現在のところ、福島原発は、メルトダウンを起こし、毎日汚染水を500トンも発生させながらも、悪いなりに安定しているようにも見える。我が家の非常事態宣言は解除してもいいのだろうか? 格納容器が吹っ飛ぶという最悪の事態はもう起らないと思っていいのか? というのが筆者の第二の疑問である。
これに対するA先生の回答は、「わからない」というものであった。その理由を以下に示す。まず、原子力安全・保安院が、ほぼ毎日、公開している「プラント関連パラメタ」をみて、1〜3号機、それぞれについて、圧力容器および格納容器の圧力の推移、給水ノズル温度および格納容器下部温度の推移をプロットしてみた(図1〜3)。これに対するA先生の見解は以下の通りである。
1)
1号機の圧力容器の二つの圧力値が開きながら少しずつ上昇している。同じ圧力だからこの分離はおかしい。特に、Bの圧力値が高い。現在、1.6MPaを超えている。ところが、圧力容器には穴が開いているという発表がある。それが事実なら、圧力容器の圧力がこんなに高くなるはずがない。したがって、圧力計がおかしくなってしまったと思われる。
一方、給水ノズル温度および圧力容器下部温度は、ほぼ100℃で安定している。これは、ウラン燃料が冷却されているとみることもできるし、圧力容器下部の破損部から燃料の一部が落下していると考えることもできる。これだけのデータでは判断できない。後者のケースでは、溶けたウラン燃料が圧力容器の外、つまり格納容器にあることになる。この燃料が、冷却されているのか、高温状態にあるのかわからない。もし、この燃料が高温状態にあるなら、水蒸気爆発を起こす可能性を否定できない。
2)2号機の格納容器の圧力が単調に低下している。これについても、格納容器には穴が開いているということだから、はじめの1気圧は良いとして,その後どんどん低下するのはおかしい。この圧力計もおかしくなってしまったと思われる。
また、給水ノズル温度および圧力容器下部温度も、1号機と同様にほぼ100℃で安定している。したがって、2号機と同様に、溶けたウラン燃料が圧力容器の外に漏れている可能性があり、水蒸気爆発の危険性が否定できない。
また、給水ノズル温度および圧力容器下部温度も、1号機と同様にほぼ100℃で安定している。したがって、2号機と同様に、溶けたウラン燃料が圧力容器の外に漏れている可能性があり、水蒸気爆発の危険性が否定できない。
3)3号機の圧力容器の二つの圧力値のうちAの値が、ジリジリと低下し、とうとう負圧になってしまった。これも1〜2号機と同様に、圧力容器に穴が開いているわけだから、圧力計の指示は全くおかしい。
一方、給水ノズル温度および格納容器下部温度が乱高下している。その上、1〜2号機と違って、100℃より随分高い。これは圧力容器下部に溶けたウラン燃料があるが、その冷却がうまくいっていない可能性がある。そのために、3号機では、注水量を1時間当たり20トンに増やした。にも関わらず、依然、給水ノズルも圧力容器下部も温度が高い。この溶けて高温になっている燃料に、冷却水がうまくあたっていないのかもしれない。この冷却がうまくいっていない高温のウラン燃料が圧力容器から格納容器に落下すれば水蒸気爆発を起こす可能性がある。
結局、水蒸気爆発の危険性が否定できない。各原子炉でウラン燃料がどのようになっているのかがよくわからないため、A先生の言うように水蒸気爆発の危険性については、「わからない」というのが正直なところだ。
その結果として、我が家の非常事態宣言は、当分の間、解除できそうにないということになった。
一方、給水ノズル温度および格納容器下部温度が乱高下している。その上、1〜2号機と違って、100℃より随分高い。これは圧力容器下部に溶けたウラン燃料があるが、その冷却がうまくいっていない可能性がある。そのために、3号機では、注水量を1時間当たり20トンに増やした。にも関わらず、依然、給水ノズルも圧力容器下部も温度が高い。この溶けて高温になっている燃料に、冷却水がうまくあたっていないのかもしれない。この冷却がうまくいっていない高温のウラン燃料が圧力容器から格納容器に落下すれば水蒸気爆発を起こす可能性がある。
結局、水蒸気爆発の危険性が否定できない。各原子炉でウラン燃料がどのようになっているのかがよくわからないため、A先生の言うように水蒸気爆発の危険性については、「わからない」というのが正直なところだ。
その結果として、我が家の非常事態宣言は、当分の間、解除できそうにないということになった。