台湾TSMCを創業したモリス・チャンの驚きの物語
朝日新聞WEBRONZA 2013年6月21日
NHKの「島耕作のアジア立志伝」のシリーズ第2話「“下請け”が世界を変えた」を6月17日に見て大きく心を打たれた。この”下請け“とは、半導体の設計は行わず製造だけを請け負う「ファンドリー」と言われる半導体メーカー、台湾TSMCのことである。TSMCは、中国生まれのモリス・チャンが1987年に創業し、今やインテルおよびサムスン電子とともに世界半導体3強の一角である。そこに至るまでの過程には驚きのドラマがあった。
モリス・チャンは、銀行の頭取の息子として1931年に中国で生まれ、香港で育った。ところが、日中戦争と中国内戦で運命が変わる。家族とともに、飲まず食わずで逃げ惑う日々が続いた。
1949年、18歳のとき、一念発起して渡米し、ハーバード大学に入学した。しかし、一流大学を卒業しても、米国で中国人には職が無いことを知り愕然(がくぜん)とする。その時の心境を、モリス・チャンは、次のように自伝に書き残している。
モリス・チャンは、銀行の頭取の息子として1931年に中国で生まれ、香港で育った。ところが、日中戦争と中国内戦で運命が変わる。家族とともに、飲まず食わずで逃げ惑う日々が続いた。
1949年、18歳のとき、一念発起して渡米し、ハーバード大学に入学した。しかし、一流大学を卒業しても、米国で中国人には職が無いことを知り愕然(がくぜん)とする。その時の心境を、モリス・チャンは、次のように自伝に書き残している。
台湾TSMCのモリス・チャンCEO(81)
「中国人のアメリカでの道が教師か研究者しかないなら、私が先鞭をつけもう一つの道を切り開いてやろうではないか」。実際にモリス・チャンはそれを実現するのである。
彼は産声を上げたばかりの半導体産業に出会い、当時ベンチャー企業だったテキサス・インスツルメント(TI)に入社する。TIはIBMの大型コンピューター用トランジスタを下請け製造していたが、なかなか良品ができなかった。しかし、モリス・チャンは試行錯誤を繰り返し、見事に良品トランジスタの製造に成功する。
IBMの幹部が訪ねてきて「大変驚いています。一体どうやったんですか?」と質問した。モリス・チャンが「朝から晩までトランジスタのことを考えて試行錯誤を繰り返しました。だからできたんです」と答えると、IBMの幹部は「我々大手では、こんなリスクの高い製品について製造ラインを組むことはできません。助かりました」と言った。
この時以降、それまでは批判や小言ばかり言っていたIBMの態度が一変した。この時、「下請けでもその技術を極めれば大手企業と対等の立場に立てる」ことに気づいたことが、その後ファンドリーを立ち上げる基本思想になったと考えられる。
転機が訪れたのは1985年、54歳のときだった。台湾当局から、「世界に通じる半導体産業を台湾につくり出して欲しい」と要請されたのだ。モリス・チャンは「願ってもないことだ」と、台湾工業技術研究院(Industrial Technology Research Institute、ITRI)の院長に就任する。
1985年と言えば、半導体業界では、日本が米国を追い越し、世界を席巻していた時代である。台湾には、小さな町工場の部品メーカーしかなかった。何をどうすればいいのか、モリス・チャンは悩みに悩んだ。
当初、台湾当局は、日本のような垂直統合型の半導体メーカー立ち上げを期待していた。しかし、台湾には設計技術が無いことから、モリス・チャンの考えは、製造だけを請け負うファンドリーに収束して行く。この背景には、米国のTI時代に、IBM用のトランジスタ製造で成功した実績があった。
しかし、これには反対意見が続出した。半導体工場の建設には多額の資金を投資しなければならない。その工場で、どこか別の会社の半導体を製造するなど、世界中の誰も考えないような奇想天外な着想だったからだ。
出資を頼んだ大企業からは軒並み断られた。インテルの創業者からは、「君は良いアイデアを持っているが、今回は良くないね」と言われ断られた。日本企業にも多数打診した。その中にはソニーや三菱が入っていた。しかし、興味を示したこところは一切無かった。
逆風の中で、モリス・チャンは1987年にTSMCを創業した。数年間はほとんど売り上げが無かったという。技術が劣るとみられて、大手企業のおこぼれのような仕事しかなかったからだ。
私は奇しくもTSMC創業の年と同じ1987年に日立に入社し、半導体技術者になった。TSMCの存在を知ったのは、1995年にDRAM工場に異動した頃だったと思う。そして、台湾の技術を下の下に見て、そんな技術で製造請負のファンドリーが成功するはずがないと思った。これは私個人だけでなく、日立全体、日本半導体全体がそのように見下していた。
1990年代初旬、アメリカ西海岸のシリコンバレーでは、半導体設計を専門に行う「ファブレス」が誕生し始めていた。
ファンドリーのTSMCとファブレス。この二つの要素が相乗効果を生み出し、歴史が動き始める。シリコンバレーでベンチャーとして次々と誕生するファブレスと、台湾TSMCがお互いを利用し合い、正のスパイラルに突入していくのである。
現在、世界でファブレスは1000社を超える。もしモリス・チャンがファンドリーを始めなかったら、このようなファブレスは存在しなかっただろう。番組中でモリス・チャンが言っているように、彼は、「半導体業界を根本から変えてしまった」のである。モリス・チャンは現在81歳であるが、バリバリの現役CEOとして、今も尚、TSMCを牽引し、世界半導体業界をリードしている。
かつて、その技術を下の下と見下し、ファンドリーなんて成功するはずがないと高をくくった自分が恥ずかしくなる。まさに恐れ入った。
それとともに、日本半導体が凋落し続けているのは、モリス・チャンのような傑出した経営者を生み出せなかったことに最大の原因があるのではないかと思う。