日本人は零戦をもっと学ぶべきだ
朝日新聞WEBRONZA 2013年9月6日
半藤一利他著『零戦と戦艦大和』(文春新書)を知人に勧められて読み、実に実に驚いた。日本の半導体(だけでなく薄型テレビも)は、さまざまな点で、まさに零戦とそっくりだったからだ。
「零式艦上戦闘機」 ウィキメディア・コモンズから。Paul Richter撮影。
零戦は登場したとき、抜群の格闘戦性能と航続距離を持っており、文字通り“無敵”の戦闘機だった。開戦当初、米国戦闘機の零戦対策は、「零戦を見つけたらひたすら逃げること」だったという。
ところが、戦争が激化し終盤になると、零戦の無敵性が失われていく。徹底的に研究され、その弱点が露呈したからだ。零戦は高高度性能、高速性能、防弾性能に問題があった。米国の戦闘機グラマンは、この零戦の弱点を突くために、高高度からの一撃離脱戦法で攻撃し、零戦を次々に撃墜していった。
とくに、零戦の防弾性能の貧弱さは、致命的だった。海軍が要求する通りの(当初不可能と思われた)格闘戦性能や航続距離を実現するためには、機体を極限まで軽くする必要があった。そのため、パイロットを守る防弾壁が設置されなかったのである。その結果、何より貴重なベテランパイロットを、日本海軍は次々と失うことになった。
かつて日本の半導体メーカーは、顧客のメインフレームメーカーから、「壊れない半導体メモリDRAMつくれ」と言われ、本当に25年保証の高品質DRAMをコスト度外視でつくってしまった。また、ルネサスも、トヨタから不良ゼロの車載半導体(マイコン)を要求され、検査に次ぐ検査を行って、会社が赤字を垂れ流そうとも、ひたすらトヨタの言う通りに高品質マイコンをつくってきた。
DRAM。ウィキメディア・コモンズから。ZeptoBars。
私はまずここに、日本半導体と零戦の共通性を垣間見る。零戦は海軍の言うとおりの仕様 でつくられ、DRAMやマイコンはメインフレームメーカーやトヨタの言うとおりの品質で(コスト度外視で)つくられたからだ。
また零戦の最大の問題は、量産に適していない構造にあった。零戦は、中島飛行機と三菱重工で製造された。それは緻密な「摺り合わせ技術」の結晶であり、それ故、日米の戦いは、「名人対サイエンスの戦い」とまで言われたという。
ところが、中島飛行機と三菱重工で同じ零戦を製造しているにもかかわらず、製造方法や部品の標準化および共通化はまったくできていなかった。そのため、同じ型式であるにもかかわらず、中島製に三菱製のタンクがつけられなかったり、現場でのメンテナンス法がまるで異なっていたりしたという。
最終的に戦争は物量がものをいう。2カ所しかない製造工場で製造方法や部品の標準化および共通化ができておらず、一機一機、名人の職人芸で製造していたのでは、最初から勝ち目はなかったとしか言いようがない。
この零戦の事例は、日立とNECの合弁により設立したエルピーダと酷似しているように筆者には見える。同じDRAMと言っても日立とNECで作りかたはまるで異なっており、互換性がまったくなかった。そのため、NEC相模原に設置されたエルピーダの開発センターで試作されたDRAMは、日立の工場ではまったく製造することができなかった。その結果、エルピーダは片肺飛行を余儀なくされ、設立から2年でシェアを4分の1に減らして倒産寸前になった(社長が坂本氏に交代しなければそのまま倒産していただろう)。
さらにもう一つ付け加えるなら、零戦は登場したときこそ、他国の戦闘機を圧倒的に凌駕した。しかし、開戦後は、大きな技術開発は行われず、(海軍の命令にしたがって一見どうでもいいような)マイナーチェンジばかりを繰り返した。そうこうしているうちに、米国に追い付き追い越されてしまった。
半導体や電機もこれと同じ道をたどっているように見える。せいぜい5年もすれば買い替えるPCのDRAMに25年保証の高品質を追求し続けたり、クルマに搭載されても一度も使われないかもしれないエアバッグ用半導体(マイコン)に不良ゼロを追求したり、もはや人間の目の分解能を超えている領域に入ってきているのに、いまだにテレビの画質向上にこだわっている。このような些細なことにこだわっている間に、半導体もテレビも韓国勢に大敗北を喫した。
かつて、ソニーがウォークマンを発売して音楽を聴くスタイルを社会的に変えてしまったようなイノベーションが、最近の日本では生まれていない。それは、日本半導体と電機産業が行っていることが、すでに枠組みが決まっていること、たとえるなら重箱の隅をつつくような改善、改良だけであるからではないか。
零戦と日本半導体と電機産業の共通性は日本人の性に由来するものなのだろうか?ドイツの鉄血宰相ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言ったという。日本半導体と電機産業の経営者も技術者も、もう少し歴史(特に零戦)を学ぶべきであると思う。