東京五輪で「金メダル数世界3位」実現に必要なこととは
朝日新聞WEBRONZA 2014年1月7日
日本オリンピック委員会(JOC)は、2020年東京五輪での目標を、「金メダル数世界3位以内と、実施28競技すべてで8位以内入賞」と決めた。
「オリンピックは参加することにこそ意義がある」という言葉は、もはや今は昔となった。オリンピックは、メダルを取らなくては意義がないことに変貌した。
この是非は横においておくとして、日本が「金メダル数世界3位」を実現するには何が必要なのか?
橋本聖子JOC選手強化本部長(2011年撮影)
橋本聖子選手強化本部長は、目標実現のために、「固定観念を捨ててください」と競技団体に呼び掛け、JOC強化部の柳谷直哉部長代理は「今までは与えられた中でやってきたが、今回はまず目標ありき。180度発想を転換しないといけない」と述べている。また内閣府は「選手強化にいくら必要なのか試算してほしい」とJOCに命じ、JOCは「やりたいことは全部盛り込んで」と各競技団体に指示しているという(日経新聞2013年12月17日『スポーツ新潮流』)。
その結果、28の競技団体は、かつてないほど恵まれた状況で予算を組めることになった。つまり、選手の強化資金は豊富に与えられる。
しかし問題は、日経新聞の記事が指摘している通り、各競技団体の事務局の貧弱な体制にある。事務局の正規雇用者が5人以下の競技団体は5割にのぼり、7割が10人以下で切り盛りしている(図1)。そしてこの体制は10年以上変わっていないという。
その結果、28の競技団体は、かつてないほど恵まれた状況で予算を組めることになった。つまり、選手の強化資金は豊富に与えられる。
しかし問題は、日経新聞の記事が指摘している通り、各競技団体の事務局の貧弱な体制にある。事務局の正規雇用者が5人以下の競技団体は5割にのぼり、7割が10人以下で切り盛りしている(図1)。そしてこの体制は10年以上変わっていないという。
なぜ変わることができないのか? その大きな理由の一つは「給与水準の低さ」にあり、「スポーツ業界への転職は、現職と比べて年収が300~500万円減るケースがほとんど」であるという(日経新聞2013年12月19日『スポーツ新潮流』)。つまり、あまりにも報酬が低いために、優秀な人材が集まらないのである。
これには思い当たる節がある。
私は、1989年にSCUBAダイビングのインストラクターになった。当時勤務していた日立製作所の中央研究所にダイビングクラブを設立し、研究所の敷地内にあった温水プールを使って初心者講習会等を行い、50人以上のダイバーに認定証(Cカードと呼ぶ)を発行した。週末は1泊2日で伊豆半島へ、GWや夏休みなど大型連休時には沖縄の離島や東南アジアへ10人規模のダイビングツアーを行っていた。
何度かダイビングで食っていけないかと真剣に考えた。しかし、東京都内のダイビングスクールでは月給は高々10万円程度、沖縄の離島で8万円、東南アジアやミクロネシアのリゾートで2~5万円。これでは、とても食べていけない。それ故、ダイビングは趣味で行うのがベストと判断して今に至っている。
このように、一見華やかに見えるダイビングのインストラクターでも、その待遇は極端に低い。またダイビングには指導団体という組織があるが、その事務局職員の待遇は、極端に低いインストラクターよりもさらに低いのである。ほとんどボランテイアに近い存在であり、「好きでなければやっていられない」世界なのだ。
そして、このような状況はダイビングに限らない。私の知る限り、多くのスポーツにおいて、その指導員や競技団体の職員の待遇は劣悪である。JOCに加盟する競技団体の多くも、ごく少数を除けば、例外なく当てはまるだろう。
日本では、なぜ、スポーツ関係者の待遇がこれほど低いのだろうか? なぜ、スポーツ関係者の社会的地位がこれほどまで低いのだろうか?
ダイビングのインストラクターを職業にすることを断念して以降、20年近く、この問題を見つめてきた。この問題の根底には、学校教育に起因した構造的な問題があると考えている。つまり、受験科目である「国語、算数、理科、社会(中学以上では英語)」が重視される一方で、「音楽、図工、体育、家庭」はランクが下と見做される。否、ランクが下どころか、もしかしたら、大多数の受験生にとっては、受験外科目のこれらは単なる休養の場かもしれない(ちょっと言い過ぎか?)。
そして、このような「刷り込み」は、小学校から大学まで16年間も続く。その結果として、「国語、算数、理科、社会、英語」が良くできる者が就く職業の社会的地位は高く(例えば医者や弁護士)、逆に、受験科目には無い「音楽、図工、体育、家庭」関係の従事者の社会的地位は低いのではないか? それ故スポーツ関係者の待遇が極端に低いのではないか?
これには思い当たる節がある。
私は、1989年にSCUBAダイビングのインストラクターになった。当時勤務していた日立製作所の中央研究所にダイビングクラブを設立し、研究所の敷地内にあった温水プールを使って初心者講習会等を行い、50人以上のダイバーに認定証(Cカードと呼ぶ)を発行した。週末は1泊2日で伊豆半島へ、GWや夏休みなど大型連休時には沖縄の離島や東南アジアへ10人規模のダイビングツアーを行っていた。
何度かダイビングで食っていけないかと真剣に考えた。しかし、東京都内のダイビングスクールでは月給は高々10万円程度、沖縄の離島で8万円、東南アジアやミクロネシアのリゾートで2~5万円。これでは、とても食べていけない。それ故、ダイビングは趣味で行うのがベストと判断して今に至っている。
このように、一見華やかに見えるダイビングのインストラクターでも、その待遇は極端に低い。またダイビングには指導団体という組織があるが、その事務局職員の待遇は、極端に低いインストラクターよりもさらに低いのである。ほとんどボランテイアに近い存在であり、「好きでなければやっていられない」世界なのだ。
そして、このような状況はダイビングに限らない。私の知る限り、多くのスポーツにおいて、その指導員や競技団体の職員の待遇は劣悪である。JOCに加盟する競技団体の多くも、ごく少数を除けば、例外なく当てはまるだろう。
日本では、なぜ、スポーツ関係者の待遇がこれほど低いのだろうか? なぜ、スポーツ関係者の社会的地位がこれほどまで低いのだろうか?
ダイビングのインストラクターを職業にすることを断念して以降、20年近く、この問題を見つめてきた。この問題の根底には、学校教育に起因した構造的な問題があると考えている。つまり、受験科目である「国語、算数、理科、社会(中学以上では英語)」が重視される一方で、「音楽、図工、体育、家庭」はランクが下と見做される。否、ランクが下どころか、もしかしたら、大多数の受験生にとっては、受験外科目のこれらは単なる休養の場かもしれない(ちょっと言い過ぎか?)。
そして、このような「刷り込み」は、小学校から大学まで16年間も続く。その結果として、「国語、算数、理科、社会、英語」が良くできる者が就く職業の社会的地位は高く(例えば医者や弁護士)、逆に、受験科目には無い「音楽、図工、体育、家庭」関係の従事者の社会的地位は低いのではないか? それ故スポーツ関係者の待遇が極端に低いのではないか?
もし私の考察が正しければ、「金メダル数世界3位」を実現するには、受験によって形成された日本の職業文化の壁を打破する必要がある。与えられた時間は7年を切った。選手の強化はもちろん必要だが、28の競技団体が直ちに事務局の飛躍的な強化を行わない限り、目標実現は覚束ない。
橋本聖子選手強化本部長の「固定観念を捨ててください」という言葉を、そっくりそのまま、事務局強化に適用する必要がある。まずは、現在の事務局職員の給料を倍にすることから始めたらどうか。
橋本聖子選手強化本部長の「固定観念を捨ててください」という言葉を、そっくりそのまま、事務局強化に適用する必要がある。まずは、現在の事務局職員の給料を倍にすることから始めたらどうか。