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東芝の半導体技術漏洩事件の背景にあるもの

朝日新聞WEBRONZA 2014年3月24日

 たまたま講演のために1泊2日で韓国を訪問している最中の3月13日に、東芝の半導体メモリNANDフラッシュの研究データが韓国SKハイニックスに漏洩し、情報を流出させた容疑で日本人技術者が警視庁に逮捕される事件が起きた。

 NANDフラッシュは、スマートフォンやUSBメモリに使われている半導体メモリで、今後はPCやサーバーなどのハードデイスクドライブを代替していくことから、市場規模の急速な拡大が期待されている。

 世界シェア1位はサムスン電子、2位は東芝で、両社の差はわずかである。また、3位は米マイクロンテクノロジー、4位がSKハイニックスで、3位と4位の差もわずかである。つまり、非常に競争が激しい半導体メモリ分野で、今回の事件は起きた。

 本稿では、今回の事件がどのような過程を経て起きたかを振り返り、その上で、本事件の背景には、日韓の技術に対する考え方の大きな相違があることを論じたい。

 まず推察するに、東芝の四日市工場で技術開発に携わっていたサンディスクの杉田吉隆容疑者に、SKハイニックスが、「東芝の研究データを持ってきてくれれば、高年俸を約束する」などと言ってスカウトを持ちかけたと思われる。サンディスクは、東芝とNANDフラッシュの開発・製造で業務提携している米国の半導体メーカーである。

 杉田容疑者は約1年かけて東芝の研究データをUSBメモリにコピーし、2008年5月、サンディスクを自己都合退職。2カ月後の7月に東芝の研究データを手土産にSKハイニックスに入社し、3年間在籍して「一生遊んで暮らせる大金を手にした」(読売新聞2014年3月13日)ようである。

 韓国メーカーは、次のようにして日本人技術者をスカウトしていると考えられる。例えば、同じ韓国メーカーのサムスン電子の場合、日本にあるサムスン横浜研究所が情報収集の拠点となっている。日本半導体メーカーの技術者に対して、技術者の学会発表、論文発表、特許出願状況をつぶさに情報収集し、技術者一人ひとりの個別情報ファイルを作成していると思われる。そこにマーケティングを通じて入手した情報も書き加え、その人物が企業内でどのような職位にあり、どんな情報にアクセス可能かなどもブロファイルされているだろう。そして韓国の本社が技術情報を必要とする時に、その情報を入手するために、最も、適切な人材を即座に選び出し、スカウトする。恐らく、SKハイニックスも同じようなやり方で、杉田容疑者に目を付けたのではないだろうか。

 今回のケースでは、杉田容疑者が在籍中に東芝の研究データをUSBメモリにコピーするという動かぬ証拠があるため、杉田容疑者もSKハイニックスも(私の推察通りならば)確信犯的な犯罪者であると言える。

 しかし、今回のように技術漏洩が立証できるのは稀であり、これは氷山の一角ではないかと思う。例えば、「今の年俸の3倍出すから、貴方にぜひ、来てほしい」とスカウトの申し出を受けたら、技術者としては、今の会社よりも高い評価をしてくれることに悪い気はしないはずだ。そして、このスカウトに応じて転職しただけなら、犯罪とは言えないだろう。言わば、半導体技術の世界の「田中将大」が高年俸を提示されて移籍するようなものだからだ。

 ただし、スカウトされて転職した先がバラ色とは限らない。スカウト時には「韓国語ではなく英語で仕事ができますよ」などと言われるが、実際に韓国メーカーに着任してみれば、韓国語の読み書きができなければほとんど仕事にはならない。そして語学のハンディを背負った状態で、韓国技術者との競争環境にさらされる。韓国メーカーに転職したもののうち8~9割が数年で辞めていくのは、語学の壁があるからだ。

 日本人の定着率は悪いが、それでも韓国メーカーは、技術を吸収するために、日本人をスカウトする。その背景には、日韓の技術に対する考え方の大きな相違があると考えている。

 韓国(だけではなく多くの諸外国)の半導体などハイテクメーカーでは、ある技術が必要になった場合、まず、その技術を有している会社を探す。その会社がベンチャーだったら、即、買収することを考える。

 そのような会社はない、またはあっても買収に応じないならば、その技術を有するキーパーソンを探し出す。そして、高額の年俸を提示してスカウトしようとする。

 買収できるベンチャーもなく、該当する技術者もいないとなったら、その段階で初めて、自社で技術開発をするという方法を取る。

 半導体をはじめハイテク業界は技術の進歩が恐ろしく速い。そのために、韓国をはじめとする世界のハイテクメーカーは、技術を買うことにより、カネで開発時間の短縮を図ろうとしているのである。

 一方、日本では、ある技術が必要になったら、まず自分で開発しようとする。つまり、世界のハイテク業界のスタンダードとは正反対 の方法を取るのである。これは、日本人が、技術開発が大好きということもあるだろうし、NIH症候群に侵されているからだということもできる。

 NIHとは、「Not Invented Here(ここで発明したものではない)」の略で、自分で開発した技術以外使おうとしない性癖のことである。

 今回の事件では、杉田容疑者もSKハイニックスも罪を犯したわけであり、不正競争防止法違反(営業秘密開示)を逃れることはできないだろう。しかし、ここのところ凋落傾向にある日本のエレクトロニクスは、これを契機に、何でもかんでも自前主義で開発しようとする企業文化を、少し考え直してみてはどうかと思う。