人間の行動を規定する驚きの法則 〜 WEBRONZAを執筆した日には別の原稿を書くことができない理由
一日に一つ原稿を書くと、別のもう一つの原稿がなかなか書けない。これについて私は、「頭の切り替えがうまくいかないからだろう」とか、「頭の原稿執筆エネルギーが枯渇したため充填されるまで時間が必要なのかもしれない」とか、「単に自分が怠け者だからか」などと思っていた。
ところが、私がかつて在籍していた日立製作所中央研究所の矢野和男氏が執筆した『データの見えざる手』(草思社)によれば、「あなたが1日に使えるエネルギーの総量とその配分の仕方は、科学法則により制限されており、そのせいであなたは意思のままに時間を使うことができない」というのである。それが膨大な実験データ(ビッグデータ)とともに定量的に示され、私は考えを変えざるをえなくなった。
矢野のグループは、リストバンド型のウエアラブルセンサ(「ライフ顕微鏡」と呼んでいる)を開発した。このセンサには、3軸(x、y、z)の加速度センサが内蔵され、1秒間に50回、人の動きを計測し続ける。この加速度センサは非常に高精度で、極めて微小な動きも見逃さないでとらえることができるという。
矢野のグループは、これを用いて12人の被験者の腕の動きを4週間ずつ、のべ9000時間に渡って記録し、解析した。
あらゆる人の行動には腕の動きがともなう。したがって、上記の記録は腕の動きに投影された人の生活の影であるとも言える。寝ているときには腕は静止する。時々寝返りを打つときにだけ動く。起きているときは静止していることはほとんどない。したがって、記録を見れば、いつ寝ていつ起きていたかが分かる。
また、腕の動きの回数に着目すれば、起きている間は1分間に平均80回程度である。歩いているときは1分間に240回程度で、PCでウエブを眺めているときは1分間に50回以下に下がる。つまり、どんな行動にも1分間に何回腕が動くかという特徴があるため、データを観察すれば自分が何をしていたかを明確にすることができるという。
このような記録を長期間取り続けると、人生をまるで絵巻物を見るように一望することができる。矢野のグループは、活発に動いている時を赤、動きが少ない時を青で示すなどして、24時間の行動を表現する図を考案し、これを絵巻物にちなんで「ライフタペストリ」と呼んでいる。
被験者ごとにこのライフタペストリを比較すると、人によって生活のパターンが大きく異なる。また、同じ人であっても日によって、時間帯によって、多様な行動を行っている、というようなことがわかる。
何だ、やっぱり人間は、その日、その時に、自由な意思で行動しているということではないか。
ところが、これらのデータから驚くべき法則が導き出されるのである。
矢野のグループは、被験者12人×2週間分のデータについて、横軸に「1分間あたり何回動いたか」(N回/分)、縦軸にそのN回/分以上の激しい運動が観測された頻度を、観測の総数で割ったもの(累積確率と呼ぶ)とした片対数グラフを書いてみた。
すると、一定の範囲できれいな直線に乗ることが分かった。矢野のグループは、これを「U分布」と呼ぶ。Uはユニバーサル、つまり「普遍的」の頭文字である。
U分布は次のこと示している。1分あたり60回以上の運動をすることは1日の半分(1/2)程度だが、1分あたり120回以上の運動をすることは、その半分(1/4)程度に減る。さらに1分あたり180回を超える運動をすることは、さらに半分(1/8)程度に減る。つまり、人間の行動は50回/分以下のような動きの緩やかな時間が多く、激しい動きを示す時間は少ないということである。
ここまでは、12人×2週間の平均の話しだが、1人×1日のデータだけでもU分布を示したという。これは偶然かと思って、別の日を調べてみたが、やはりU分布に乗っていた。さらに、12人の被験者すべてについて、毎日のデータがU分布を示した。矢野も日々データを調べているが、毎日きれいなU分布に乗っているという。
違う仕事を持ち、性別も年齢も異なる人たちが、魔法にかけられたように、同じU分布に従って、24時間行動している。この結果には、正直言って驚かざるを得ない。
矢野はこの不思議な現象について、次のように問いかける。人の行動は、物質のようにエネルギーによって制約されているのだろうか? 宇宙のあらゆる変化は、エネルギーのやり取りで起きているのに、人間の行動だけは「意思」や「好み」や「情」で決まるのだろうか? 人間だけは特別なのだろうか?
矢野は、人の行動も特別ではない、と結論する。
物質中では、分子間で熱エネルギーが繰り返しやり取りされている。それと同じように、人間も、1日の活動時間900分において腕の動きが約7万回という制約の中で、どの時間に、どれだけ腕を動かすか(これが物質中の熱エネルギーに相当する)を無意識のうちに調整している、と矢野は説明する。
例えば、午前は活動量(腕の動き)を抑えて、午後の顧客へのプレゼンに全力投球する(腕を激しく動かす)とか、あるいは、午前中は新聞を読むなどして(腕の動きを少なくして)、午後は原稿の締め切りに集中する(腕を大きく動かす)ことなど。
つまり、腕の動きという有限の資源を、優先度の低い時間には温存し、優先度の高い時間に割り当てるという「腕の動きのやり取り」を、人間は無意識のうちに最適化しているというのだ。
ウエアラブルセンサから得られたビッグデータにより、人間の行動はU分布に従うという法則が新たに導き出されたわけである。
この法則を無視して立案された計画は実行不可能となる。矢野によれば、人前で話すプレゼンでは1分間に平均150回動き(150回/分の帯域と呼ぶ)、PCに向かって原稿を書く際には1分間に平均60回動くという(60回/分の帯域)。
私は10月17日に13〜17時まで合計4時間のセミナーで講演した。18時に帰宅した私が、原稿執筆に2時間を使うということが許されるだろうか。これは許されない。腕の動きの統計分布がU分布にならないからだ。150回/分の帯域の講演を4時間すれば、60回/分の帯域の原稿執筆はそれより長くなければならない。U分布にするためには、講演時間を短縮するか、原稿執筆時間をもっと長くするしかない。結局、この日は4時間の講演で疲弊してしまったため、原稿を書くことができなかった。
仮にうまく調整して、150回/分の帯域の講演を2時間とし、60回/分の帯域の原稿執筆を5時間行ったとする。それ以外に使われていない50回/分以下、70〜120回/分、180回/分以上の帯域が存在する。これらの未使用の帯域には、それなりの時間を使うことになる。しかし、それを無視して、もう一つ原稿を書こうとしたりすると、まるで書けずに家の周りを徘徊することになったりするのである。
人間の活動は、U分布に従う。それ故、その日1日にやろうと計画していることおよびその時間配分が、自分の自由になるということは、まったくの幻想である。
今日は5時間使ってWEB RONZAの原稿を執筆した。もう一つ別の原稿を書くことはできない。それは、私の行動がU分布に従っており、60回/分の帯域の活動予算を使い果たしてしまった可能性が高いからだ。決して私が怠け者だからではないのである。