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シャープ買収の行方を占う
液晶パネル技術の帰属先次第で空中分解も

朝日新聞WEBRONZA 2016年2月10日

 経営不振に陥っているシャープは、一度は官民ファンド産業革新機構の再建案を受け入れたと思われたが、1月30日に台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘(テリー・ゴウ)董事長と直接交渉した結果、鴻海案に翻意したようだ。
 
 シャープの高橋興三社長は、「大阪人的な言い方で『(価格を)つり上げたろか』という気持ちは全くない」と語ったと報道されている(2月5日、日経新聞)が、実に怪しいものだ。
 
 そもそもシャープは、出資金の大半を国が出している革新機構が支援するべき会社なのか。また、鴻海にとって買収する価値のある会社なのだろうか。
 
 本稿では、まず、革新機構と鴻海の再建案について比較する。次に、革新機構が支援するべきか否かを論ずる。さらに、液晶パネル、特に「IGZO(イグゾー)」の特許の面から、シャープが買収に値する会社なのかどうかを述べる。
 
 

革新機構と鴻海のシャープ再建案

 
 二つの再建案を表1に示す。
 

 革新機構案では、3000億円規模をシャープ本体に出資し、加えて2000億円の融資枠を設定する。さらにみずほや東京UFJ銀行に最大3500億円の支援を要請することになっている。一方、鴻海案では、合計7000億円を出資する。大規模な銀行支援は求めない。
 
 リストラにおいては、革新機構案では、赤字を垂れ流している液晶事業を切り離して子会社化し、将来はジャパンデイスプレイと統合する。また、家電事業は、粉飾会計で苦境に陥っている東芝との統合を検討する。さらに成長性の乏しい事業者資産は売却する。一方、鴻海案では、従業員は現状維持するとされた。
 
 そして経営陣については、革新機構案では社長ら3首脳陣の退任を求めているが、鴻海案では続投を認めている。
 
 要するに、革新機構案では、支援規模に劣るだけでなく、シャープはバラバラに解体され、現経営陣は更迭される。ところが、鴻海案は基本的に現状維持であり、現経営陣が責任を取って退任する必要もない。
 
 シャープの経営陣が鴻海案に傾いたのは、支援額の大きさもさることながら、「現状維持」ということからくる保身に目が眩(くら)んだせいではないか。だとしたら、鴻海による買収がシャープのためになるかどうかは大いに疑問だ。
 
 

したたかな鴻海

 
 さらに言えば、したたかな郭董事長が、上記の条件をそのまま実行するかどうか分からない。
 
 というのは、2012年3月に、やはり経営不振となったシャープと鴻海が業務資本提携を結び、鴻海が1300億円を出資し、半分をシャープ本体に、残り半分を堺市の液晶工場に出資する計画だった。ところが、交渉中にシャープの巨額損失隠しが明らかになり株価が急落、工場への出資は行われたが、本体への出資は郭董事長が「だまされた」と怒り、こじれにこじれて行われなかったという経緯があるからだ。
 
 また、今回も郭董事長はシャープとの交渉後に、「雇用を維持するのは40歳未満の若手」「太陽電池事業以外は一体で再建(つまり太陽電池事業は売却?)」「優先交渉権の合意書にサインした」などと発言し、既にシャープとの認識の違いが明らかになっている。先が思いやられる。
 
 

シャープ買収は革新機構のやることか

 
 革新機構は、2012年に経営破綻寸前になった半導体メーカーのルネサス エレクトロニクスをトヨタなどとともに1500億円で買収した。そして今回、経営不振のシャープを3000億円で買収しようとした。このような買収を革新機構が行うべきなのか。
 
 そもそも革新機構とはどんな存在なのか。
 

 
 革新機構の出資のスキーム(図1)によれば、政府出資が2860億円、民間出資が140.1億円、政府保証枠が1兆8000億円となっている。革新機構は「官民ファンド」と呼ばれるが、実情は「官ファンド」の色合いが濃い。
 
 また、革新機構のHPには、その目的として次のような記載がある。
 

我が国と日本企業にとって、「今まで慣れ親しんできたビジネスモデルに拘ることなく、従来の業種や企業の枠にとらわれずに、その発想と行動において自己変革と革新を推し進めていくこと(=オープンイノベーション)」が重要な鍵となります。
 
産業革新機構(INCJ)は、この“オープンイノベーション”の考え方に基づき、次世代の国富を担う産業を創出するため、産業界との連携を通した様々な活動を行ってまいります。
 
産業や組織の壁を超えた“オープンイノベーション”の考えに基づき、新たな付加価値を創出する革新性を有する事業に対して「中長期の産業資本」を提供すると同時に、取締役派遣などを通じた経営参加型支援を実践し、企業価値の向上を全面的に支援していきます。

 
 要するに、「オープンイノベーションに基づいて、次世代の国富を担う産業創出のために、革新性のある事業を支援する」ということである。
 
 しかし、私の目には、政府が経営不振に陥った大企業を救済しているようにしか見えない。つまり、ルネサスやシャープの支援は、2003~2007年に存在した産業“再生”機構が行うに相応しい事業であり、産業“革新”機構がやることではないと思う。だから、鴻海が買いたいならば、買ってもらえばいいではないか。
 
 

「IGZO(イグゾー)」はシャープの技術なのか

 
 それでも百歩譲って、シャープには「IGZO(イグゾー)」という高精細で低消費電力の液晶パネルの技術がある、それ故、革新機構による支援は妥当だという考えもあるかもしれない。また、鴻海が7000億円もの出資をするのは、この技術を手に入れたいからだとも推察できる。
 
 しかし、イグゾーは本当にシャープの技術なのか。このことを商標と特許の面から考察してみよう。
 
 「IGZO」とは、インジウム(In)、ガリウム(Ga)、亜鉛(Zn)の酸化物で、一般に「酸化物半導体」と呼ばれている材料である。
 
 まず商標について言うと、2011年11月にシャープが「IGZO」という文字商標の登録を受けた。ところが、「IGZO」は材料名であり学会発表などに支障をきたすとのことから裁判となり、2015年2月に知財高裁でシャープは敗訴した。そのため、「IGZO」は物質名として使われることになり、シャープはカタカナの「イグゾー」を商標として使うことになった。
 
 次にイグゾーの基本技術については、東京工業大学の細野秀雄教授が科学技術振興機構(JST)の創造科学技術推進事業のプロジェクトにおいて開発し、複数の特許を取得している。その特許はJSTが管理しており、シャープは2012年1月にライセンス供与を受けている。
 
 また、イグゾーの結晶については、「単結晶でもなく、アモルファスでもない新しい結晶構造(CAAC-IGZOと命名)を発見した」として、半導体エネルギー研究所(SEL)の山崎舜平社長が特許を取得している。
 
 半導体エネルギー研究所とは、技術開発を行って、特許を取得し、その権利行使で主たる利益を上げている日本には稀有な会社である。社長の山崎舜平氏は、2011年3月に特許取得数世界一(6,314件)として、2004年に認定された自身のギネスワールドレコード(3,245件)を更新した、自他ともに認める特許王である。
 
 実は、シャープは長らく半導体エネルギー研究所と共同開発を行ってきた。イグゾーを用いた液晶パネルの製造技術も、半導体エネルギー研究所とシャープが共同開発した。その経緯からすると、その製造技術に関する特許は、ほとんどが共同出願であると考えられる。
 
 このように見てみると、イグゾーについてシャープが保有している単独出願特許は、あまりないのではないか(ちゃんと調べたわけではないが)。少なくとも、基本特許はJSTに、結晶技術の特許は半導体エネルギー研究所に依存している。そして、日本からの技術流出を極度に警戒している半導体エネルギー研究所が、鴻海に買収されたシャープに特許を使わせるかどうかは疑問だ。
 
 唯一、革新性があると思われたイグゾーについても、シャープの技術の現状は心許ない。やはり、シャープは、革新機構が買収すべき会社ではない。さらに心配なのは、鴻海が買収したとしても、郭董事長が「シャープには肝心の技術がない」と怒って途中で放り出すことである。その危険性は大きいと思う。