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傲慢症候群が「日本半導体敗戦」の真の理由だ
敗れるべくして敗れた日本メーカーの病理

朝日新聞WEBRONZA 2015年7月13日

 作家の百田尚樹氏が「沖縄2紙をつぶさなあかん」などとトンデモ発言をしたらしい。それで、を何気なく読んだのだが、その記事で「傲慢症候群」なるものの存在を知り、思わず「おおっ!」と叫んで膝を打った。
 

「傲慢症候群」への対策を呼びかけるデービット・オーエン元外相 = ロンドンで、西崎香撮影

 
 そこで紹介されていた3月15日の朝日新聞DIGITALによれば、英国の神経科医で政治家のデービッド・オーエン元外相・厚生相(76)が名付け親で、トップが助言に耳を傾けず、冷静な判断ができなくなって経営につまずくようなことを指すとあった。自らが代表となって「傲慢学会」なる研究会を立ち上げていると知り、瞠目せざるを得なかった。
 
 なぜ私が膝を打ち、瞠目したのか。順を追って説明したい。
 
 

「日本半導体敗戦」の講演依頼

 
 実はこの1週間前に、ある弁護士事務所から「日本半導体および電機産業」に関するセミナーの講演依頼を受けた。事前打ち合わせをすると、先方は「なぜ日本半導体産業はここまで凋落したのか?」ということに関心があるようだった。そこで、以下の持論を簡単に説明した。
 

 1970~80年にかけて、半導体メモリDRAMの主要な顧客だった大型コンピューターメーカーは、25年保証の超高品質を要求した。驚くべきことに、日本メーカーはこれを実現してしまった。その結果、80年半ばに日本は世界シェア80%を占めるに至った。
 
 ところが、90年代に入ると、大型コンピューターからPCへパラダイムシフトが起きた。その時、25年保証などの超高品質は必要がないPC用のDRAMを安価に大量生産した韓国勢が、日本に代わってシェアトップに躍り出た。 相変わらず25年保証の超高品質DRAMをつくり続けてしまった日本は、安価にPC用DRAMを大量生産する韓国サムスン電子などの“高度な”破壊的技術に駆逐された。
 
 つまり日本は、ハーバード・ビジネススクールのクリステンセンが言うところの典型的な「イノベーションのジレンマ」に陥ったのである。

 
 この説明に対して、所長は「PCが普及し始めた時に、なぜ日本はPC用の安価なDRAMをつくらなかったのか?」と聞いてきた。もっともな質問である。私は次のように回答した。
 

 日本は超高品質DRAMで大成功した結果、「高品質が正義である」という技術文化が現場に深く根付いた。また、高品質DRAMで成功した功績により出世し、経営層に登りつめた人たちも「高品質こそ正義」という思想で染まっていた。つまり、上から下まで誰もが「高品質病」に冒されていた。そして、「高品質をつくっている限り、負けるはずがない」というような考えに毒されていたため、そこそこの品質のDRAMを低コストでつくることができなかった。

 
 所長は、「まるで第二次世界大戦の日本軍のようだ」と感想を述べた。日本軍は、日清戦争や日露戦争にたまたま勝ってしまったため、「日本が負けるはずがない」という根拠なき自信を持つようになったというのである。そして、「日本半導体産業も、日本軍と同様に、Arrogant(傲慢)だったのではないか」と指摘した。
 
 私は「Yes」と即答し、次のエピソードを紹介した。
 
 

日本半導体産業の傲慢さを示す事例

 
 初めて日本半導体産業の傲慢さを知ったのは、2004年10月14日、星陵会館で開催された新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)関連のシンポジウムにおいてである。日立を退職して同志社大学の経営学の教員となった私にとって、このときが研究成果を発表するデビュー戦となった。
 
 私は、第1講演者として、「技術力から見た日本半導体産業の国際競争力」というタイトルで、 前述の日本半導体敗戦の理由を発表した。
 
 すると、次の講演者である東芝の常務は、発表時間の半分以上を割いて、私の講演内容に対する批判をまくし立てた。「日本半導体の技術力は極めて高い。湯之上の言ったことはすべて間違っている」と。司会を務めた慶応大学の榊原清則教授(当時)が「温厚なあの常務が、あんなに熱くなったのを初めて見た」と言うほどの異例の講演だった。
 
 また、立食式の懇親会では、ある半導体メーカーの元社長が私を呼び止め、もの凄い剣幕で「お前の言ったことはすべて間違っている」と叫んだ。さすがにカチンときた私は、以下のように応戦した。
 
 
湯之上 「なぜ、貴方は、私の言ったことがすべて間違っていると思うのですか?」
 
元社長 「日本半導体の技術力は、実際に高いからだ」
 
湯之上 「なぜ、そのように判断できるのですか?」
 
元社長 「おれの直観だ」
 
湯之上 「貴方がそのように直感で感じるには、何かの根拠があるはずです。どのような根拠があって、そのような直感を持たれたのですか?」
 
元社長 「日本の技術は本当に強いからだ」
 
湯之上 「…」
 
 
 私たちの周りには二重、三重に人垣ができ、最後は失笑が漏れた。このときの湯之上批判を伝え聞いたエルピーダメモリの坂本幸雄社長(当時)は、「DRAMの敗戦の原因は湯之上が言う通りだ。講演を批判した常務は、馬鹿だ。全く間違っていると否定した元社長も、馬鹿だ。エルピーダの坂本が、あいつら馬鹿だと言ったと、湯之上に伝えてくれ」と述べたという。
 
 上記のエピソードを思い出すと、改めて日本半導体産業のトップ層が、如何に傲慢だったかが良く分かる。そして、特筆すべきは私の論説を支持してくれた坂本社長も、やがて傲慢になっていくのである。
 
 

なぜエルピーダは倒産したのか

 
 日立とNECのDRAM部門を切り出して合弁することで1999年12月に生まれたエルピーダは、2年間でDRAMシェアを17%から4%にまで落とした。倒産寸前のエルピーダをV字回復させたのが、2002年11月に社長に就任した坂本氏である。
 

倒産の会見で厳しい表情を見せるエルピーダメモリの坂本幸雄社長(左)ら = 2012年2月27日、 山本裕之撮影

 

 その後、順調にシェアを増大させたエルピーダだったが、2009年に産業再生法第1号適用を受けて公的資金3000億円が注入され、ついに2012年2月に経営破綻した。なぜ倒産したのかを探ったところ、二つのことが見えてきた。
 
 
 第1に、坂本社長が、“裸の王様”になっていたようである。坂本社長に逆らう者は、すべてエルピーダから叩き出されてしまった。取締役会などは、坂本社長の独演会であり、他に発言する者がいないという話も聞いた。これでは、正しい舵取りなどできるはずがない。
 
 第2に、エルピーダの社員には、明らかに危機感が欠如していた。エルピーダに出入りしている装置や材料メーカーの多くの人がそう感じていた。これはエルピーダに限らず、国内の半導体メーカーのほとんどに共通している問題でもあった。
 
 エルピーダと同様に1社では立ち行かない緊急事態だから合弁会社として設立されたのがルネサス エレクトロニクスである。ところが、両社ともその社員たちにまるで危機感がない。世界半導体トップ3の米インテル、韓国サムスン電子、台湾TSMCなどの社員と会うと、その差は明確になる。彼らの方が、危機感が強いのである。
 
 日本メーカーの危機感の欠如はどこから来るのか。私は、彼らの意識の中に、「技術では負けていない」という奢りがあるからだと思っている。特に、エルピーダの過半を占めるNEC出身者にその傾向を強く感じる。NECは半導体売上高ランキングで1986~1991年まで世界1位だった。日本の半導体メーカーで世界1位になったことがあるのは、NECだけである。そのせいか、「頭の中は未だに世界一」という社員が多々存在する。
 
 結局のところ、エルピーダ経営破綻の根本には、イエスマンに取り囲まれ“裸の王様”になってしまった社長と、技術を過信して危機感が欠如した社員たちの存在があると言わざるを得ない。
 
 

奢れる者は久しからず

 
 このような会話を弁護士事務所の所長等とした直後に、香山リカ氏の記事が目に留まり、それによって朝日新聞DIGITALの記事を読んで、「傲慢症候群」を知ったわけである。私が膝を打った理由がお分かりいただけただろうか。
 
 ここまでは過去の話であるが、最後に現在進行形の話をしたい。シャープが再び危機に直面している。また、東芝が不適切な会計で揺れている。この二社に共通する性質がある。それは、液晶パネルや半導体を製造するために装置メーカーから装置を購入する際、その装置メーカーの営業マンやサービスエンジニアに対して、極めて傲慢な態度を取るということである。装置メーカーの協力なしには製造できないのに、その関係者に対してあまりにも非人間的な扱いをしていることが、以前から気になっていた。
 
 日本のメーカーは「傲慢症候群」への対応を急ぐべきであると思う。