京大とノーベル賞に関する体験的考察
京大の山中伸弥教授のノーベル生理学・医学賞受賞が発表された。日本人として、また京大出身者として素直に嬉しいと思った(特に今年は私が専門とする半導体業界に悲惨な出来事が多かったことから大きな喜びを感じた)。
以前、知的生産力は物的生産力のピークより遅れてやってくること、日本はバブル崩壊の1990年頃に物的生産のピークがあり、その10年後、つまり2000年以降にノーベル賞受賞者が増大していることから、やはりこの傾向に当てはまることを記事にした(WEBRONZA 2012年1月13日「日本人は独創的でない」に根拠なし)。
山中氏が受賞したことで日本人のノーベル賞受賞者は19人となり(2008年に米国籍で受賞した南部氏も日本人に含めた)、上記傾向にさらに拍車がかかったようにも思う。この19人を出身大学別に分類してみた(図)。山中氏は神戸大を卒業したので、この分類では神戸大出身となる。
この結果から以下の傾向が見て取れる。
1) 上述した通り、2000年を過ぎてから受賞者が増大している。2000年以前は、1949年の湯川秀樹氏から1994年の大江健三郎氏まで8人、つまり、45年間で8人しかいないが、2000年以降は、12年間で11人が受賞している。
2) 出身大学別では、東大7人、京大5人、名古屋大2人の順となっている。自然科学3分野に限れば、京大5人、東大3人、名古屋大2人の順となる。
3) 自然科学分野に限ると、京大だけが1949年の湯川氏以降、散発的に(平均すると10年に1人の割合で)受賞しているのに対して、東大、名古屋大などは2000年以降に集中している。
以上から、「京大は理系のノーベル賞受賞者が最も多く、受賞者は10年に1人の割合で出現する」というユニークな特徴を持つことがわかる。
私は、1981〜1987年までの6年間、京大に在籍した。その皮膚感覚からすれば、この特徴は「さもありなん」である。その根拠は以下の通り。
京大に入学してまず感じたことは、「こんなに自由でいいのか?」ということだった。何の拘束もないことに眩暈(めまい)すら覚えた。教養の2年間は外国語と体育さえサボらなければ、後は何をしていても良かった。名物数学教授だった故・森毅氏などは、「大学生のくせに講義なんか出るな」とまで言っていた。だから、ほとんどの学生がバイトやサークルや遊びにうつつを抜かしていた。
ところが、あまりにも自由だからこそ、それを利して徹底的に勉学に励む学生も僅かながらいた。典型例として、湯川秀樹に心酔して理学部に入学し、1回生からランダウ・リフシッツの『量子力学』などを読みこなし、4回生や大学院のゼミにまで顔を出すような猛者が存在した(何故か関西系の大学では、“○年生”のことを“○回生”と呼ぶ)。このようなスーパー勉学者がノーベル賞級の学者になるのかもしれない。
しかし、京大生の平均的学力レベルは、東大生と比べると、一部のスーパー勉学者を除けば、惨憺たる有様だと思う(少なくとも当時は)。東大では、2年生から3年生になるときに進学振り分けが行われるため、多くの学生が入学してからもかなり勉学に励まなくてはならないからだ。
私は2回生から3回生になるときに転部試験を受けて、農学部から理学部数学科へ転部した。ここでも驚くべき体験をした。まず、理学部内の学科の移動は自由である。というより学科という概念がない。境界領域や複合領域を学ぶには最適な環境かも知れない。学科の壁がないから、卒業するときには教務課から「あなたは何を学んだのですか?」と聞かれる。「物理学かな?」と答えると、卒業証書には「主として物理学を学んだ者」と記載される。
理学部の数学は芸術のようで自分には合わないと感じた私は、すぐに素粒子・原子核物理へ鞍替えした。そして素粒子論の講義で次のように言われたことにさらに衝撃を受けた。
「理学部は天才が1人いれば10年持つ。どう見ても君らは天才ではない。だから、とっとと卒業して出て行ってくれ。優が欲しければ試験用紙に『優をくれ』と書け。お望みの成績をあげますよ。だから留年しないで卒業してもらいたい」。
理学部の先生たちがこのように言うのにも訳があった。京大(特に理学部)は留年率が高く、8回生まで居残る者も多かった。1学年約300人に対して、理学部物理の修士課程の枠は当時26人しかなく、“大学院浪人“がどんどん溜まっていくからだ。
結局のところ、京大の特徴は、「ほとんど拘束がなく自由」、「学科間の移動も自由」、「徹底的な少数精鋭主義」にあるといえる。
圧倒的な自由な環境の中で、才能があるものが、自力で能力を伸ばし、その結果としてノーベル賞級の研究者が誕生する。その頻度が(結果として)だいたい10年に1人なのだろう。
野依良治氏が2001年にノーベル化学賞を受賞して以降、京大出身者の受賞者は現れていない。もし京大の伝統が今も続いているならば、そろそろ、京大出身者のノーベル賞受賞者が現れてもいい頃である。