広域ガレキ処理で混乱した島田市の小中学校で「放射線教育」が始まった
私の故郷、静岡県島田市が昨年末、全国の市町村の中で真っ先に広域ガレキ処理の受け入れを表明した。ところがガレキに僅かなセシウムが付着していることから、激しい反対運動が起きてしまった( ☞ ガレキ受け入れで分断の危機にある故郷・島田市を救いたい = 2012/02/22)。
根本的な解決のためには、島田市民が放射線に関する正しい知識を持つ以外に方法はない。しかし、特に反対派は感情的に「絶対反対」を訴えており、冷静に話し合うことが困難だった。
そこで私は、小中学校の先生方すべてに放射線に関する研修を受けてもらい、先生たちが放射線を正しく理解した上で、小中学生に放射線教育を行ったらどうかということを、島田市の環境課や教育委員に提案した( ☞ 「放射線学」を大学入試の必須科目にしよう = 2012/06/08)。
島田市はこの提案を受け入れ、今年7月6日(金)、私が講師となり、約100人の島田市の小中学校教諭を対象として、「放射線とその影響」についての研修会を開催した。
私はこの研修会で、まず、小中学校では放射線教育の前例がないこと、したがって学習指導要領もないこと、だから先生方が放射線を理解した上でゼロから学習指導要領をつくる必要があることを説明した。島田市の小中教諭が、「放射線教育」のトップランナーになる決意を促したのだ。
その上で、放射能とは何か? 放射線とは何か? 放射線の種類と特徴、半減期とは何か? ベクレルおよびシーベルトとはどんな単位か? 被ばくするとはどういうことか? どこまで安全でどこから危険と言われているか? などを丁寧に解説した。
この研修会を一つの切っ掛けとして、理科の先生方を中心に「放射線教育推進部会」が組織され、7〜8月の夏休み中に、部会の先生方が3時間分の学習指導要領を作成した。
文字通り“手作り”で作成された学習指導要領に基づき、10月31日(水)、島田市六合中学校2年生30人に対して、初めての授業が行われた。島田市の多くの小中校教諭が参観に訪れた。また私も参観させ頂いた。NHK静岡放送局や静岡新聞など、地元メディアも取材に来ていた。
授業をしたのは、大学を出て3年目のフレッシュな女性の理科教師だった。まず、放射線について知っていることを自由に発言させた。生徒たちは自分で考え、数人の班で話し合い、その後、手を挙げて、「怖いもの」、「原発」、「被ばく」など見聞きしていたことを発表した。
次に、先生はレントゲン写真を実際に見せ、「なぜ骨だけ映るんだろう」ということを考えさせた。そして、X線が皮膚は貫通するが、骨は貫通しないことを教えた。またレントゲン技師はなぜ部屋の外にいるかを考えさせ、X線を少し浴びるのは平気だが、大量に浴びるのは危険ということを教えた。
最後に、簡単な霧箱の実験を行った。部会の先生方が最も苦労したのは、どうやって放射線を生徒たちに見せるかということであり、ここに最大の工夫を凝らしていた。
霧箱とは、放射線を観測する一手法であり、エタノールなどの気体が過飽和になった空間を放射線が通過すると、放射線が気体をイオン化することにより飛行機雲のように軌跡が見えることを原理としている。
部会の先生方は、ランタン用のマントル(熱せられると光を発する繊維)から微量なα線が出ていることを調べ、シャーレに満たしたエタノールの過飽和気体中にα線の軌跡が見える状況をつくり出すことに成功したのだ。各班に、マントルを入れたシャーレを配り観察させた。参観に来ている先生方も放射線の軌跡を見るのは初めてであり、生徒よりも先生方の方がシャーレにくぎ付けになっていた!
授業終了後、NHKや新聞社の記者が生徒にインタビューしていたが、「放射線が良く分かった」、「とても面白かった」、「はじめて放射線を見た」と興奮した様子で話していた。
生徒たちは家に帰って、お父さんやお母さんに話すに違いない。「放射線の授業があったんだよ」、「放射線はたくさん浴びると危険だけれど少しなら問題ないんだよ」、「放射線を見たんだよ」と。これこそが、私がねらっていたことだ。それにしても、素晴らしい授業だった。
島田市では今年中に、小学校4年生以上と中学生に放射線教育を行う予定である。ガレキ受入れを巡って分断された島田市の騒動を鎮圧 するために、回り道かも知れないが、小中学校への「放射線教育」を提案し、島田市はその第一歩を踏み出した。この教育が定常的に行われ続ければ、騒動は収束できるだろうという手応えを感じている。
島田市の放射線教育が効果をあげたら、これを静岡県にも広げたい。そして全国にも拡大したい。放射線の知識は、日本人なら誰でも知っているべき必須教養になったと思うからだ。