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電機産業再浮上の鍵は模倣能力を取り戻すことではないか

朝日新聞WEBRONZA 2013年4月22日

 最近、2冊の本を読んだことがきっかけで、“創造”と“模倣”に対する考え方が、大きく変わってしまった。結論から言うと、模倣なしに創造はあり得ないし、模倣から創造が生まれると思うようになった。

 まず、“創造”とは何か? 私は何となく、「無から有を生み出すこと」のようなイメージを持っていた。ところが、地球物理学者の赤祖父俊一著『知的創造の技術』(日経プレミアシリーズ)によれば、科学哲学においては「創造とは二つ以上の事実または理論を統合すること」と定義されており、統合する事実が特に相互にまったく関係が無いと思われているものであるほど創造性が高いと論じている。

 有名な例としては、ニュートンは木から落ちるリンゴと、太陽の周りをまわる惑星運動を結びつけることによって、万有引力の法則を導き出したことなどがある。

 「創造は統合」という定義は、科学だけでなく企業活動にも当てはまる。あらゆる新製品は、既に存在する部品や技術の統合からつくられる。そして科学創造と同様に、統合する要素が遠く離れているほど、その新製品は人の意表を突き、イノベーションを起こす可能性が高くなる。

 例えば今は亡きスティーブ・ジョブズがつくりだしたiPhoneは、「音楽と携帯電話とコンピューター」を統合した。視点を変えれば、「デザインとテクノロジー」と統合したともいえるし、「技術と芸術」を結び付けたと言えるかもしれない。

 さて一方、“模倣”については、私は相当にネガティブなイメージを持っていた(皆さんもそうではないか?)。「お前は模倣している」などと面と向かって言われたら、間違いなく腹を立てるだろう。

 ところが、オハイオ州立大学フィッシャー・カレッジ教授のオーデット・シェンカー著『コピーキャット』(東洋経済)によれば、「模倣とは複雑で希少な能力であり、イノベーションを生み出す必須要素である」という。

 知識も技術も模倣により伝達される。伝達される際に改良が加わり、それが歴史的な時間の中で蓄積され発展していく。つまり、模倣は、人間が進化し文明が発達するうえで極めて重要な役割を果たしているのである。

 身近な例で言えば、学校の勉強のほとんどが模倣だ。模倣によって読み書きを覚え、計算手法を学ぶ。考え方ですら模倣することによって身につける。高校・大学入試などは、模倣能力をテストしていると言っても過言ではない。スポーツも、芸術も、あらゆる人間活動が模倣から始まる。

 新商品も模倣なしにはつくることができない。既存の製品を完全に模倣する場合もあれば、模倣して改良する場合もある。さらに既存製品や技術を模倣した上で再結合して新商品をつくり出すこともある。

 赤祖父が創造的商品として取り上げたiPhoneについて、シェンカーは、既存技術を模倣し斬新な発想で再結合することに創造性をもちいたアセンブリーイミテーションと評している。

 シェンカーの著作を読んでいくと、模倣なしに創造はあり得ない、模倣こそが創造への道標のように思えてくるのである。

 シェンカーは、成功している模倣者には共通要因があり、それはオリジナルをしのぐ解決策を見つけていることだと論じている。これについては驚くべき調査結果が紹介されている。イエール大学経済学部教授のウィリアム・ノードハウスが1948年から2001年までに創出されたイノベーションを調べたところ、最初の発明者たちはそれによって起きたイノベーションの現在利益のたった2.2%しか獲得していないというのである。つまり、利益のほとんどの97.8%を模倣者たちが得ている。これは模倣者たちがオリジナルを超える製品をつくりだし、模倣者たちがイノベーションを起こしたと言うことではないか。

以前、『「日本人は独創的でない」に根拠なし』と言う記事を書いた(WEBRONZA、2012年1月13日)。記事の中では、国の知的生産力のピークは物的生産力のピークより遅れてやってくること(図1)、その理由として、後世に残るような知財は経済的余裕があってはじめて生まれるという解釈があることを紹介した(出所:後藤尚久著『アイデアはいかに生まれるか』講談社、1992年)。
 


 これについて私は、異なる解釈を思いついた。国の物的生産力が向上する段階とは、途上国が先進国をキャッチアップする過程であると言える。そこではまず完全な模倣から始まる。次に模倣の改良が行われ、知財が生み出されるようになる。さらに模倣した要素を再結合する段階になると、知財生産はより向上する。これはもはや創造活動であり、このような中からノーベル賞級の偉業が生み出されるのではないか。

 そうだとすると、日本の問題が見えてくる。日本は、第2次大戦の敗戦後、米国をお手本に、クルマ、家電、半導体産業を模倣し、1980年代後半には物的生産のピークを迎え、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われるまでになった。

 日本人は、「キャッチアップは終わった、これからは日本人が創造する時代になった」と認識し、今までの日本の競争力の源泉であった模倣能力を捨て去ってしまった気配がある。また日本人は、創造とは無から有を生み出すと誤認識しており、模倣は途上国が行う下劣な行為だという偏見を持っていると思われる。

 電機も半導体も頂点に達した瞬間から失速し、昨年には大崩壊してしまった。その背景には、このような創造に対する誤認識と模倣に対する偏見があるのではないか。だとすれば、電機と半導体が再浮上するためには、創造を正しく認識し、かつて得意だった模倣能力を取り戻すのが近道であると言える。