大学改革再論:「文系の教員は怠慢」は撤回しない
本丸は私立文系の組織見直し、理系学生に社会へ目を向けさせる方策も必要
「文系教員の怠慢」は撤回しない
文部科学省が、国立大学の教員養成系や人文社会系(まとめて文系と呼ぶ)の組織見直しを通達したが、このような事態を引き起こしたのは、文系教員の長期にわたる怠慢が原因であるという記事を書いた(WEBRONZA、2015年8月12日)。
これに対して、「文系にも立派な先生はたくさんいる。それを十把一絡げに怠慢と決めつけるのは乱暴だ」とか、「文系だけでなく、理系だってひどいものだ」というような反論を多々頂戴した。
それはそうかもしれないが、しかし、私は持論を撤回する気は毛頭ない。2003~2009年までの間、同志社大学の経営学と、長岡技術科学大学の工学部の先生を掛け持ちした稀有な経験から、文系と理系のあまりの落差を骨身に染みて体感し、それぞれの赤裸々な姿をしかとこの目で見届けたからだ。多少の例外はあるだろうが、全体的な傾向については、自分の感覚が正しいと思っている。
「文系の組織見直し」の見直し
しかし、前述の拙著記事の中で間違いがあったので、それを訂正したい。私は、文科省のデータを用いて、1960年から2012年までの文系学生数やその割合を算出した(図1)。その結果、学生全体に占める文系学生の割合は、少しずつ低下しているものの、2012年には55%と過半を超えていることを示した。
この結果を用いて、須藤靖氏の論考(『人文・社会科学と大学のゆくえ』、2015年8月6日)で、「東大における文系の割合は少ない」ことは、日本全体の傾向からすると特異な例であると論じた。
また、日本の労働力の過半が文系で占められているため、彼らが日本の競争力に与えるインパクトは大きい。しかし、文系では全体的に教育レベルも研究レベルも低く、だから学生も十分に学ばないまま就職し、その中で育つ教員も教育力も研究力も上がらない、というような負のスパイラル が続いてきたと推測し、だから文科省の「文系の組織見直し」に賛同する意向を示した。
以上のどこが間違っているかと言うと、文科省は「国立大学の文系の組織見直し」を通達したわけだが、私が論考に用いたデータ(図1)は、国立、公立、私立のすべての大学生に関するものだったことだ。そこには、大学の種別によって、分野別学生の割合がそんなに変わるはずがないという思い込みがあった。
ところが、実際はそうではなかった。図2に、2015年5月1日時点の国立、公立、私立の各大学における分野別学生の割合を示す。この図によれば、学生全体における文系の割合は、国立(37%)、公立(43.8%)、私立(58.8%)となる。つまり、国立では文系が少なく理系が多い。私立は、それと全く逆で、理系が少なく文系が多い。
したがって、須藤靖氏の「東大における文系の割合は少ない」ことは、国立大学の傾向に合致している。
文科省は文系の本丸を改革するべき
文科省が組織見直しを求めているのは、国立大学の文系だが、それは学生全体の6.4%に過ぎない。したがって、ここを改革しても、日本の労働力に対するインパクトは、あまりにも小さい。
そんなちっぽけなことよりも、私立大学の文系をターゲットにして、組織見直しを求めるべきである。なぜなら、私立の文系学生は、全体の45.6%と半数近くを占めているからだ。
下村博文文部科学相は、「人文社会系の改革は国公私共通の課題だが、言えば言うほど私立の反発は強まる。まずは国立に問題提起し、国立が変わる中で私立も自己改革しないと生き残れないという方向に持っていきたい」と述べている(2015年9月14日、日経新聞)。
しかし、そんな及び腰でどうする。下村氏は、五輪の国立競技場やエンブレム問題などの責任を取って、文部科学相を辞任する可能性がある。後任の文部科学大臣には、覚悟を決めて本丸を改革して頂きたい。
理系見直し提案
この際だから、理系に対しても見直し提案を述べてみたい。
冒頭で述べた通り、2003~2009年の間、文系と理系の先生を掛け持ちしたのだが、長岡技術科学大学では極限エネルギー密度工学研究センターの客員教授として、ゼミの運営と修士及び博士課程の論文指導を行った。
上記研究センターには学部3年~博士課程まで、常時30~40人の学生が在籍する大所帯だった。私が勤務していた間に、国内外の電機・半導体関連企業から、「こんな学生が欲しい」というリクルートが多々あった。
日本の企業は、どこも「修士卒を技術者として欲しい」と言ってきた。学部卒では基礎知識も研究経験も足りない。一方、博士卒は一つの(狭い)分野の専門家であるが、それにマッチする仕事はなかなか無く、また年齢も高く給料も高い。ということから、日本企業は修士卒を欲しがるのである。
外資系企業のリクルート
ところが、外資系企業はまるで違った。何社かには、学生を集めて就職説明会を開いてもらったが、例えばある米国の半導体製造装置メーカーは、「理工系の博士卒のエースをマーケッターとして採用したい」と言った。これには驚いたが、担当者は次のように説明した。
「現在、テクノロジーをビジネスの核にしている企業では、営業やマーケテイングにも深いテクノロジーの知識が欠かせない。文系にテクノロジーを教えるのと、理系に営業やマーケテイングを教えるのでは、圧倒的に後者の方が効率的だ。また、テクノロジー系の企業では、『どうつくるか』より『何をつくるか』が重要で、そのためにはマーケテイングが企業存亡の生命線を握る。したがって、当社では理工系の博士卒のエースをマーケッターとして採用し、シリコンバレーで修業を積んでもらい、幹部候補生として育てることにしている。因みに年俸は、初年度900万円で、30歳には1200万円くらいになる」
これを聞いた博士課程の学生は、研究開発職しか眼中に無かったから、相当に驚き、戸惑っていた。しかし残念ながら、私が知る限り応募した学生はいない。因みに、「私が行きたい!」と手を挙げたところ、「湯之上君は年齢オーバーでダメ」と言われてしまった。
テクノロジー企業のグローバルスタンダード
このような話は、その後も後を絶たなかった。そこから見えてくるのは、世界を相手にビジネスを展開しているテクノロジー企業では、「理工系の博士卒のエースをマーケッターに採用する」ことが、どうやらグローバルスタンダードになっているということである。
例えば、韓国の就職でもっとも狭き門であるサムスン電子では、社員27万5千人対して、約5000人の専任マーケッターがいる。入社試験の成績が最も良い者がマーケッターになり、待遇も破格である。このようなマーケッターが世界中に配置され、「この国ではこんな電機製品が売れ、こんな半導体が必要になる」ということをつかみ、本社に、いつまでに、何を、どれだけ、いくらでつくれ、と指示を出すのである。
日本では、専任マーケッターをおいている企業は極めて少ない。もしいても、サムスン電子より3桁少ないだろう。また、最もできる者ではなく、その対極の者が任に就くケースが多い。明らかに日本のテクノロジー企業は、グローバルスタンダードから落ちこぼれている。
では、どうしたら良いか。例えば、大阪大学工学部では、ビジネスエンジニアリング専攻という学科を設け、工学と経営学を同時に学ぶことができる仕組みがある。私もこの専攻でイノベーションに関する講義を行ったことがあるが、非常にユニークな試みであると思う。また学科を設けないまでも、修士や博士課程で、MBA(Master of Business Administration)やMOT(Management Of Technology)の一部を必修科目にしたらどうだろうか。ともすればタコ壺に陥りやすい理工系学生に、社会へ目を向けさせるためにも、有効な策だと思う。