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日経新聞の「半導体興亡史」に物申す(下)
日米半導体協定は日本の技術開発を停滞させていない

朝日新聞WEBRONZA 2014年1月22日
 前稿に引き続いて、日経新聞のコラム『日曜に考える』の「シリーズ検証 半導体興亡史」の分析が的外れであることを論じる。本稿は「盛衰の岐路 続いた誤算」(1月12日)を取り上げる。

 この回は、日米半導体協定によって日本を叩こうとした米国に対して、日本半導体メーカーには「政府に泣きつく米半導体など何するものぞ」という慢心があったと記載している。

 日米半導体協定とは、1986年に日米間で締結された協定である。日本が使う半導体の2割を外国製にすること、日本の半導体メモリDRAMの価格を監視し一定価格以下にしてはならないことなどが日本に課せられた。

 日本半導体メーカーの慢心については筆者もその通りであると思うが、慢心した日本が壊滅的になるするまでの分析がいただけない。

 まず、日経新聞は、「…現場では思いもしないことが起きていた。元NECの半導体技術者はこう明かす。『日米半導体協定の実像は世界ナンバーワンとナンバー2の国同士による官製談合。競争を抑制した結果、半導体メモリの国際相場は安定し好業績をもたらした。でも技術的な成長は止まった』」と書いている。

 しかし、これまでに筆者がNEC、日立、東芝の開発センターや量産工場の関係者に聞き取り調査をした結果からは、日米半導体協定によって「技術的な成長が止まった」痕跡はどこにも見当たらない。それどころか、86年の協定締結から96年の協定失効を経て21世紀に入ってもなお、日本半導体メーカーは熱心に技術開発をし続けている。

 例えば、2010~12年までの3年間における売上高に占める研究開発費比率と営業利益率の相関を調べた図1からも、その一端がうかがえる。日立、三菱、NECが統合されたルネサスは、3年間平均で赤字であるにも関わらず、研究開発費率では、欧州STMicroに次いで第2位であるからだ(WEBRONZA 2013年10月30日)
 
 次に日経新聞は、「日本の強みは不良品率を下げ歩留まりを上げること。生産量の抑制は技術開発の停滞につながった」と書いている。

 しかし、日本の強みは歩留りをあげることではなく、高品質な半導体をつくることにあった。日本が80年代半ばにDRAMで世界シェア80%を独占できたのは、メインフレーム用に25年保証の超高品質DRAMを製造できたからである。この論考は、拙著『日本半導体敗戦』(光文社)でも『日本型モノづくりの敗北』(文春新書)でも繰り返し論じ、業界の共通認識となっている。

 また「生産量の抑制は技術開発の停滞につながった」とあるが、技術開発の停滞などは起きていないことは前述した通りである。生産量の抑制とは、外国製半導体を2割使うことを課せられたことを指していると思われるが、80年中頃から2000年にかけては、国内外の半導体市場が年率7~10%で急成長していた時代である。したがって生産量を抑制していたかは明らかではない。

 さらに日経新聞は、「96年7月に日米半導体協定が失効して官製談合が終わると、価格競争力を高めた韓国のサムスン電子、SKハイニックス、台湾TSMCなどアジア勢が一気に飛び出した。(中略)。総合メーカーの古い体質を引きずった日本勢だけが取り残された」と書いている。

 しかし、韓国のサムスン電子、SKハイニックスが飛び出したのは、25年保証などは必要のないPC用のDRAMを低コストで大量生産したことによる。この時、日本半導体メーカーはPC用に対しても、メインフレームと同様に25年保証の高品質DRAMをつくり続けてしまった。つまり、日本は、ハーバード・ビジネススクールのクリステンセン教授が言うところの典型的な「イノベーションのジレンマ」に陥ったのである。

 「イノベーションのジレンマ」とは、高性能や高品質の製品をつくっている伝統的な大企業が、「安い、小さい、使いやすい」などの特徴を持つ破壊的技術の製品によって駆逐される現象ことである。これは、日本の半導体に限らず、多くの国のさまざまな産業で起きてきた。

 以上、日経新聞の「半導体興亡史 シリーズ1および2」の論考に対する反論を述べた。日経新聞の 担当筆者には何か偏った「思い込み」があって、無理矢理それに収束させるような書き方をしているとしか思えない。 データなど事実に基づき、先行研究に学び、その上で広範囲な取材もして、記事を書くべきだと思う。